震災後森氏は、「毎日の生活がどれほど神様のことばが真実なのかを味わう日々となった。順風漫歩のときは、もしかしたら考えなくても良いかもしれないが、いろいろな困難なことが起こって来る時に頼りになるのは神のことばしかない。神のことばによって今日も道が開かれており、イスラエルの国家も存在している。大震災を通して、私の教会は二度と元の姿には戻れない状況になったが、日本中のすべての教会にも言えるとことだと思うが、神様は『新しいことをする(イザヤ43・19)』と言われている。昨日の祝福を今日まで伸ばして、と言うのでなく、今日の祝福を用意しておられる。古い姿のまま留まることはできない。留まろうとしているなら、考え方を改めなければならない。大震災の当日私は岩手に京都にいた。ほとんど地震を感じなかった。テレビで深刻さを知った。ホテルに来て、テレビのスイッチを入れて飛び込んできた映像が、大津波が街をさらっていく姿だった。同じ映像が繰り返される中で、今回の大震災で神から3つのチャレンジを受けるに至った。 1つは悔い改め。寝床で枕に顔をうずめて神様に悔い改めた。『神様、日本の罪を赦してください。偽りの上に今の日本が築かれてきました。偽り、偶像礼拝を赦してください』と悔い改めた。神様のご臨在が表れるなら、古いことに戻ることはできない。イエス様ご自身のご臨在を表してくださるときに、日本は変わらないわけにはいかない」と述べた。
また偶像礼拝について、「神ではない方を神とすることが偶像礼拝。従わない心が罪であり偶像礼拝である。神様の御心を聞かない心。日本のクリスチャンは一生懸命やっている。皆真面目なクリスチャンだと思うが、しかし一生懸命だから正しいとはいえないだろう。大震災は神様のさばきではなくチャンス。汚れた行いをしてきたその地が回復される。イスラエルは汚れた行いをして国を失ってきた流浪の民。国土なくして存在してきた。しかし神の御約束通りイスラエルは国として回復した。御言葉を信じることで、神様は何度も警告してくださる。日本はやっぱり悔い改めの必要があると思う」と述べた。
森氏は震災後に支援物資が次々届いたことについて「自分たちで計画したことは何もなく、考えてみれば全部イエス様のおかげだった。震災後毎日2トンもの物資が届いた。日本中からボランティアの方が来られるようになり、本当に感謝するばかりであった。放射能の危険も承知でクリスチャンが支援に来てくれた。皆さんのおかげでグローバルミッションセンターが設立され、街の中で信頼できる支援の砦と見なされるようになった。日本のクリスチャンは謙遜で、私は何もできないという人がいる。ひとりでは何もできないと思っても、何かが起こる。ひとりで何かが起こる。悔い改めが起こる。起こったら信仰が来る」と述べた。
また2番目のチャレンジとして「改めて神様、神様の御言葉を信じること」を挙げた。森氏は震災後5日目の朝物資が届いたときに、どこに持って行けばよいのかわからず、神様に「教えてください」と求めるに至ったことを証しした。森氏は「主に導かれ、津波で全滅した村の皆さんとだんだんと親しい深いつながりをもつようになった。イエス様が素晴らしい福音を伝えられたことを知っ ている。聖書のみことばが真実であることを知っている。私たちは今渇き切っている。私達が今こそ神様の声を聞く必要がある。全能の神様が語りかけてくださったから、私達はこれができるという確信を持って生きることを今期待されているのではないだろうか」と述べた。
日本人は「宗教」にはうんざりしている
森氏は詩篇44篇4~8節を引用し、「自分たちの言葉、武器、道具にしても、私達の持っているものは自分たちの力でなすことはできない。しかし信仰でするならこの国を変えてくださることを知っている。主を信じ御言葉を信じる。主の御言葉に従って自分たちの力に頼ることのない働きをしようと思うようになった。物資を届けながら伝道し、言葉によって救われていく信仰が与えられて行くことを求めた。日本人はイエス様に対して心を閉ざしているわけではないが宗教にはうんざりしている。イエス様は接する人それぞれ全部違うアプローチをしておられた。私たちが神様から求められているのは(宗教を伝えるのではなく)『神を愛し、人を愛する』ということではないでしょうか」と述べた。
森氏は雅歌8章6~7節を引用し、「愛は死のように強く、ねたみのように激しい。洪水もその愛を押し流すことができない。愛と死では愛の方が強い。死は滅ぼされるが、愛は永遠に残る。永遠に残る愛を求めるように言われている。今の日本では被災地だけではなく、日本中どこでも本物を求めている。私たちが福音を伝えるときに、それが本物でなかったら、どうして変化をなすことができるだろうか。もしクリスチャンが本物を伝えないならば、神様はノンクリスチャンを通してでもキリストを伝えられるだろう」と伝えた。
さらに森氏は津波の被害に遭った被災者らの間から「イエスを見た」という証しがあることについて、「津波から引き上げられた人がイエスを信じるようになっている。教会員の被災者が、水をかぶった車のエンジンがイエス様に祈りながらかけたらかかるようになり、さらにくぼみの中にはまってしまった車をどこからともなく10人の男性がやってきて車を持ち上げて道路に運び出してくれたこと、その男性たちに礼を言おうとしたらすでにいなくなっていたという話を聞いた。クリスチャンが愛の奇跡、御言葉の奇跡を信じなければ、日本はノンクリスチャンによってリバイバルが生じることになってしまうだろう。自分が『死んでいる』状況を認めなかったら、リバイバルは起こらない。私達は今、ものすごい時代に生きている。私達の国がもし主ご自身の中にある栄光の法則を経験しなかったら、日本は滅んでしまう。国がいくら政策をとっても日本に変化が生じるとは思えない。神様に触れてもらわなければ。神様が触れてくださるならば、日本人の内にあるきめ細かさや思いやりが必ず用いられるようになる。神様の全世界に対するご自分のご計画のために人が用いられるという事は何と大きなことだろうか」と伝えた。
森氏は現在少なくとも3人の人々から「夢で白い衣を着た人が現れた」という証しを聞いているという。ノンクリスチャンであるにもかかわらず、夢で示されたことに基づいて箴言を毎日読んで自分の思いを書き留め、社員にも教えている人がいるという。
人にはできずとも、生きておられる神様が奇跡を起こされる
リバイバルについて森氏は、「ただ集会に集うことで黙っていれば起こることではない。私達は宗教活動をしているのではない。人には何もできなくても、生きておられる神様によって何でも起こる。イエス様を知って、ただ愛によってクリスチャンの支援者が福島に来てくださった。こんなにもクリスチャンはすばらしい。支援活動を通してクリスチャンが集まって同じ目的のために奉仕をしていく、一つになって行くことを知った。ひとりの主イエス様を、ひとりの神様を褒め称えるとき、教団が違ってもクリスチャンは一つになれることを味わった」と伝えた。
第3のチャレンジとして森氏は「主に来ていただくこと」を挙げ、「政治的な大変動、まさに揺り動かされている。これからの日本はもっと振るわれることが起こるかもしれない。しかし不信に思う必要はない。今から選ぶべきものを選んで行く必要があるのではないか。イエス様ご自身が私達の栄光を望んでおられます。心を通して、賛美を通して、愛を通して、祈りを通して主ご自身が現れてくださることが必要である。主が私達の教会、国に来てくださることで、奇跡は当然起こってくるだろう。期待しながら、真実な愛をもって主に従って行きたい」と述べた。