ガジマ氏は日本の教会牧師から受ける相談として「日本では信仰を受け取っても直ぐにまた無くしてしまいがちである」ことを挙げ、信仰を受け取るのに必要なプロセスについて具体的に説明した。
マルコ11章の同箇所ではイエスが葉の茂ったいちじくの木がいちじくのなる季節ではないため実りがまだ無いいちじくの木が、イエスの命により枯れてしまう話が書かれてある。その後イエスが弟子たちに「山に向かって『動いて、海に入れ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになる。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」と教えている。
ガジマ氏は同箇所を引用し、クリスチャンの祈りについて「既に受けたと信じれば、あなたのものとなります」と説き、信仰を受け取る5つのプロセスとして第一に「何でも」求めること、第二に「祈って」求めること、第三に「信じること、信じ続けること」、第四に「既に受け取ったと信じる」ことで最後の第五段階で「あなたのものになる」と説いた。
1.何でも求める
第一の「何でも」求めることに対してガジマ氏は「健康、経済、婚約者、昇進、癒し、リーダーシップなど何でも求めてください。ある人々は『それは私には必要ない』と言います。イエスの守りは求めなくても良い、健康のことはもう諦めるなど、新生したクリスチャンでもそのように思う人がいます」と述べ、何でも願っていることを祈ることを強く勧めた。
2.祈って求める
第二の「祈って」求めることに対してガジマ氏は、「神様から欲しいと思うものは何でも祈りによって求めてください。求めれば与えられます(マタイ7章7節)。神様は私達の問題を既にご存知であるから祈る必要はないと思ってはいけません。(自ら)祈ること、主の御名を呼び求めることが重要です。誰でも主の御名を呼び求める者は救われます(ヨエル2・32)。祈って求めなければなりません。あなたの癒しを、喜びを、必要の満たしを、今日祈って求めてください」と勧めた。
ガジマ氏によると、自ら神に祈って求めるという行為自体が「謙遜の現れ」であるという。そのように「イエスの御名によって」祈ることによって何でも求めることができると説き、御名によって求めることで、「子によって父が栄光を受ける(ヨハネ14・13-14)」ために祈りが叶えられると伝えた。
3.信じる、信じ続ける
第三の段階の「信じる、信じ続ける」ことについてガジマ氏は「これがとても重要です。神様に対して何でも求めて良いのですがそれが現実になされると祈ると同時に信じる必要があります」と説いた。
ガジマ氏は信じることで癒された数々の福音書に書かれてある例えを引用し、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければなりません(ヘブル11・6)。私はキリストによってどんなことでも出来ると信じてください」と勧めた。
いちじくの木が枯れる話は、マルコ11章の他マタイ21章19節~22節にも書かれてあるが、マタイ21章ではいちじくの木が「たちまち枯れた」のに対し、マルコ11章では「次の日の朝枯れた」とされている。そしてそれぞれ木が枯れる奇跡が生じた後イエスが弟子たちに「信仰を持ち、疑うことがなければ山をも動かせる」ことを弟子たちに説いている。
ガジマ氏は祈って奇跡がすぐに生じることがなくても、祈って求めるときに信じ続ける姿勢が大切であると説いた。
4.既に受けたと信じる
第四の段階について、ガジマ氏は「信仰は未来形ではありません。しかし多くのクリスチャンはそれを未来形のままにしてしまっています。信じて、既に受けたと信じることが必要です。祈りには霊的な答えと物理的な答えがあります。何回も何回も祈ることで心に平安が生じるようになります。神に祈ったならば、信じて受け取り、心を騒がせないでください」と説いた。
5.あなたのものになる
そのような段階を経ることで、最後の第五の段階として祈りが叶えられ「あなたのものになります」と説いた。ガジマ氏は祈りがかなえられることについて「それを政治的なところにもっていこうとするのではなく、祈って、信じてください。そうすれば、あなたのものになります。(祈りがかなうという)兆候がないとしても、ただ信じてください。マタイ21章のいちじくの木は直ぐに枯れましたが、マルコ11章では次の日の朝になって枯れました。ある奇跡は直ぐに起こるが、ある奇跡は時間を置いて起こることが書かれています」と説いた。
外部リンク:ジョセファット・ガジマ師2012年来日公式サイト