レンドル氏は、「福音の意味を本当に理解するためには、まず真理の否定的な面を理解しなければならない」と語り、罪と律法と死(コリント一15・56)について説いた。
罪についてレンドル氏は、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっている」(ローマ3・23)と強調した。また、律法については「それ自体はよいもので完全なもの」としたうえで「律法は神の前で私を罪とする。罪がどういうものかをはっきりと示す」と説いた。死については「3つの面がある」と語り、「霊的な死」「肉体の死」「永遠の死」の3つを説いた。
レンドル氏は、「(罪と律法と死が)くさりのようにつながっている。これが地上に住むすべての人間が直面している状況」と語り、「希望がない」と説いた。そのうえで、「神が備えられたものによって罪の結果から逃れることができる」と強調した。
レンドル氏は、ヘブライ人への手紙2章14節を引用し、「なぜイエスは人間となられたのか。それは、死をつかさどる者(悪魔)をご自身の死によって滅ぼされるため」だと説いた。レンドル氏は、「あなたは死を恐れていますか」と問い掛け、「死の恐怖にとらわれている者を解放するためにイエスは十字架につけられた」と語った。
レンドル氏は、コリントの信徒への手紙一15章58節を引用し、キリストの勝利が与えるものを挙げた。第1に「安定した動かされない生き方」。レンドル氏は、津波に流されなかった陸前高田の一本松を例に挙げ、「動かされないとはまさにこの松の木が表している」と語った。レンドル氏は、第2に「実りある働きをする生活」、第3に「苦労に対する報い」があると説き、「たゆまずに善を行う者でありましょう」と強調した。
最後にレンドル氏は、「あなたは神が約束された勝利の生活を過ごしておられるでしょうか」と問い掛け、「神が備えてくださった武具(エフェソ6・11)を身に着けてイエスにあって勝利を確信していくならば、その勝利に向かっていくことができる」と強調した。
大会は25日から2日間の日程で4つの集会が行われ、教派を超えて延べ約1000人の教職信徒らが参加した。