レンドル氏は、ルカによる福音書18章でイエスが盲人をいやした記事を引用し、特に「何をしてほしいのか」(41節)とイエスが盲人に問い掛けた質問を強調した。
レンドル氏は第1に、「この質問をしておられる方はどういう方か」と問い掛けた。レンドル氏は、記事中に登場する盲人がイエスを「ダビデの子」と呼んでイエスこそ約束されたメシアだと告白したばかりか、イエスを「主」と呼んでイエスこそ万物の主だと告白したことを強調した。そのうえで、「あなたにこの質問を尋ねられた方は、おとめマリアより生まれ、罪のない方、十字架で死なれ、3日目によみがえり、天に昇り、そこで私たちのためにとりなしをしておられる方。その方がいまあなたに尋ねておられる」と説いた。
第2に「この質問を尋ねられているのはどういう人か」と問い掛けた。レンドル氏は、次の5つのグループに人は分けられると説いた。第1のグループは、霊的な目がふさがれていて自分の霊的必要を知らない人。第2は自分の霊的必要に関心をもたなくなった人。レンドル氏は、ヘブライ人への手紙2章1節を引用したうえで、霊的必要に無関心な人を「碇をおろしていない船のようなもの」と表現し、「いつか岩にぶつかって座礁するおそれがある」と説いた。第3は、神の呼び掛けを何度も聞いていながら自分の生き方を決断できない優柔不断な人。レンドル氏は「(決断を)明日に延ばしてはいけない。この集会の中ではっきりと自分の生き方を決めなければならない」と強調した。第4は、自分の霊的必要を知っている人。第5は自分の霊的必要をただ知っているだけでなく、それを得られるまで熱心に求め続ける人だ。レンドル氏は、「私の願いはみなさんが5つ目のグループに属することだ」と語った。
第3に「イエスの質問に対してどのように答えることができるか」と問い掛けた。レンドル氏は、「イエスの問いに対してあまりにも小さなものしか求めていないことはないか」と指摘したうえで、聖書の約束として信仰をもつすべての人にイエスは、「霊的な命」(ヨハネ10・10)「自由」(ヨハネ8・32)「光」(ヨハネ8・12)「平安」(ヨハネ14・27)「喜び」(ヨハネ15・11)「休息」(マタイ11・29)を与えると説いた。レンドル氏は、「この午後もイエスはあなたに『わたしのもとに来なさい』とおっしゃっている」と語った。
第4に「このイエスに信頼することができるだろうか」と問い掛けた。レンドル氏は、「イエスのもとに信仰をもって来た人をイエスは誰一人しりぞけられることがなかった。イエスが解決できない問題もなく、イエスを滅ぼす力もない」と強調し、「イエスは私たちのもっているどの必要にもこたえることのできるお方」と説いた。
第5に「どのようにイエスに願いごとをすればいいのか」と問い掛けた。レンドル氏は、祈りについて、「『私を祝福してください』という祈りはあまりに漠然としている」と指摘し、「祈るときにははっきりと具体的に祈ることが必要」と説いた。また、信仰について「信仰そのものでなく、何を信仰するかが重要」としたうえで、「イエス・キリストに完全により頼むものでなければならない」と強調した。
第6に「イエスにこたえられたあとにどのように応答すべきか」と問い掛けた。レンドル氏は、「盲人の場合はいやされたあとイエスに従った」と強調し、「イエスを主として受け入れることは、私たちがイエスの弟子となって生きるべきとの意味が含まれている」と説いた。また、「周りの人々も神をあがめた」と強調し、「私たちの責任は、私たちがクリスチャンであることを周りの人々と分かち合うこと」と説いた。
大会は23日まで3日間の日程で行われる。午後7時からの聖会では、主講師のロジャー・ウィルモア氏が講演した。