同ミニストリーはゴスペル伝道を通して、クリスチャンとなった女性たちがさらに「聖別された女性」であることを確信し、主の御言葉の土台に立ち、イエス・キリストの体である教会につながり成長し、神からの賜物を喜んで用いていく女性となるために奉仕することを目的としている。女性なら誰でも参加できる。
第8回カンファレンスでは、米アリゾナ州フェニックス在住の女性福音伝道者エレイン・ペン氏がセミナー講師として2003年以来二度目の来日を果たした。エレイン氏は54才に至る現在まで独身を貫きながら20年間以上聖職者として仕えてきた。一方で、養子としてベビー・シッターから虐待を受けていた女の子を引き取って自分の子として育てるという、自分の時間を犠牲にして子どもを育て上げる経験もしており、なおかつ世界中を飛び回って福音を伝えるというユニークな人生を送り福音宣教のために自身を捧げてきた。
独身で神を夫としてすべてを委ねて生きることで、福音宣教のために世界各国を旅するようになり、ガーナ宣教では神様が海を真っ二つに割るような驚くべき御業をなされ、ドイツでは対立関係にあった牧師同士の関係を和解に導き、カリブ海に宣教に行った際には福音によってその地域に潜んでいた悪霊の力による人々への枷を打ち壊す働きを神様がなされるのを経験することができ、結果的にたくさんの「霊の子ども」を産むようになった。様々な艱難を乗り越え福音宣教に生涯をささげてきた独身女性の力強い福音による証しは、参加した多くの信仰に問題や悩み、世の誘惑との葛藤を抱えている日本の女性クリスチャンたちにとって力強い励ましを与えた。
同氏は3冊の著書を出版しており、米国内・海外でスピーカー、バイブル教師、セミナー講師として広く活躍している。同氏のセミナーは3日間に分けてそれぞれ「女性のアイデンティティ」「神の望む女性の生き方」「どう適用するのか」の題目に分けて開催された。毎セミナー後には、女性同士の小グループに分かれ、感情溢れる祈りがささげられ、互いに互いを抱き合いながら、聖霊による恵みや互いの心の痛みを分かち合う時間が持たれた。以下はエレイン氏によるセミナーの概要である。
女性のアイデンティティ~神様の芸術作品、創造物の王冠として
士師記11章にはエフタの誓願によってエフタの娘に呪いが降りかかる出来事が記されています。エフタが誓願をかけたため、エフタの娘が呪われることになりました。娘は父の誓願を本当は受け入れなくても良かったのです。娘は何も悪いことはしていないのですから。これを私たち自身にあてはめますと、いかなる艱難や呪いを経験したとしても、神様の目から見たあなたのアイデンティティはそれによって変わることはないといえます。
女性は人生の中でさまざまな世の中の価値観による偏見により、自分に対する自虐的な考えにとらわれやすいです。しかし、世間がどんなにあなたのことを批評したとしても、神様は「私の愛する娘」と言っています。神様は本来女性を素晴らしく、尊敬されるべき存在としてお造りになられ、そして神様の芸術作品として男のあばら骨から造られた女を男の目の前に差し出されました。それまでアダムは神様によるさまざまな被造物・自然を見てきたものの、女ほど美しい被造物は見たことがありませんでした。だからこそ「これぞ私の骨の骨、肉の肉」と叫んだのです。神様は本来女性を「愛されるべき」「大切にされるべき存在」として造られました。
神様の霊はあなたが眠るときも、ひと時も休まずあなたの前をうろうろとしておられます。あなたが様々な罪に覆われているように思われるかもしれませんが、神様があなたを見るとき、その罪を贖われたイエスの血があなたのすべてを覆っています。神様の愛をあなたから引き離すものは何もありません。神様が見るあなたに対するイメージは、あなたが自分を見るイメージとは異なります。
エフタは自分が他の兄弟とは異なり遊女から生まれた息子であることを負い目に思っていましたが、神様はエフタを神の勇士であると見なしていました。ルツ記に出てくるナオミも自分の考えに捉われて自虐していました。双方とも自分に対するアイデンティティに他人の定義を受け入れてしまっています。サタンはさまざまな方法で嘘のアイデンティティを女性に吹き込んできます。そのような偽りのアイデンティティを「脱ぎ捨てる」ことが必要です。
女性が人生を生きる中で、他人の言葉による呪い、自虐的なイメージを植え付けられがちです。そのためクリスチャンとなり、イエス様を信じているのに、そのクリスチャンの中に喜びがない、人生に充実感がなくなり、心の平安もなくなるということがあります。そのようなクリスチャンの女性は、今一度、あなたに平安を与えるためにこの世に勝たれたイエス様を見ることが必要です。心に抱える苦み・怒りをすべてイエスキリストの下に解放させなければなりません。
イエス様が平安をお与えになろうとしているのに、自分の考えで怒り・苦みを抱えたまま、いつまでもイエス様の下に下ろそうとしないと、そのようなクリスチャンをイエス様が解放することができません。主の平安を受けるために、あなたの中にある恨みの感情を下に落とさなければなりません。もし恨む人がいるなら、その人をあなたが赦さなければ、イエス様もあなたを赦す=平安を与えることができません。そして、自分の心に傷を与えた人を一度赦したのなら、その人を一生苦しめ続けることを拒否しなければなりません。一方サタンはクリスチャンとなった女性の心を傷ついたままにさせ、頑なな心のままにさせようと誘惑します。そのような霊的な戦いがクリスチャンの女性の中にあります。
もし自分の「肉の父」、「偽りの父」を憎んでいるのなら、そのような「父」を赦すことで、父を自由にし、自分自身をも自由にすることができます。中には、ひどい傷を受けた際に、相手が謝罪するまで赦せないという人もおりますが、相手の立場になって考えれば、謝罪したところで事態が急変するわけでもなく、傷が重ければ重いほど、謝罪しにくいという心理的状況があることを理解する必要があります。このように余りにも心の傷が深いときは、ただ神に涙で祈り、痛み・傷を主の御下に下ろしてしまうことで、主からの癒しを求めなければなりません。そのようにして、心の苦みを取り除いて、主の癒しを受けてこそ、真に愛を与えることや受け取ることができるクリスチャンへと作り変えられます。
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第8回女性カンファレンス開催-キリストにある女性の素晴らしさとは(2)