また人間中心社会において、「神様の関心事は人類だけではなく被造物も含まれています。福島第一原子力発電所から放出された放射性物質が環境とそこに生息している生物に重大な影響を与えていますが、このことについてほとんど議論されていないのではないでしょうか」と懸念を示し、「キリスト教会の中でもローマ人への手紙8章18~25節やノアの契約が人類とすべての生き物との間になされていることはあまり話題になりません。しかしパウロ使徒はローマ人への手紙8章を通して、被造物の世界全体がキリストの贖いのうちにあることを述べています」と指摘し、クリスチャンが人間中心社会を越えて、被造物全体を含めた地の管理の受託者としての責任があることを社会に訴えていくことが必要であると述べた。東日本大震災を通して、物理的に崩壊してしまった地域社会については、修復・復興していけば良いが、もっと根本的な問題として、「これからの社会における人のあり方」を考え、聖書的価値観をキリスト者が強く提唱していく必要があるのではないかと問いかけた。
人類の歴史を顧みると、エネルギー消費量は20世紀に入り急増した。今日の人類によるエネルギー消費量は非常に膨大となり、地球環境がそれを収容することができない状態となったため、「環境革命」が求められている。そのため今後の社会において「エネルギー消費を横ばいにするか、現状の消費量よりも下げることで持続可能な社会にしていかなければなりません。原子力発電については、廃棄物が自然の循環システムの中で処理できないから地中深くに埋めればよいというのは、基本的に大きな部分(人が地の管理を委ねられている)で認識が間違っているのではないでしょうか?」と述べた。
環境問題の解決のための多角的アプローチを行っている東京大学生産技術研究所教授の山本良一氏は、地球環境問題解決のためには、先進国一人当たりの年間資源消費量を現在の10分の1以下に下げ、清貧な生活に移行しなければならないことを明言しており、このプロセスのためにも「スピリチュアルな回心」が必要であると述べている。
住田氏はこの「スピリチュアルな回心」の面においてキリスト者による聖書的世界観を世に発信していくことが大切であり、持ち物の多さが心の豊かさにつながるのではなく、人間には「霊の思いと肉の思いがある」こと、異なる価値観を持つことで、そこから生じるライフスタイルも自然と異なったものとなっていくことを社会に伝えていかなければならないのではないかと述べた。
ローマ人への手紙12章2節には「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」と書かれてある。またガラテヤ人への手紙5章16~24節では、霊の思いと肉の思いについて「相反するものであり、肉の思いは『不信仰、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興』などであり、これに対する霊の思いは『イエス・キリストに似ることであり、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制をともなうもの』」であると書かれてある。
これらのことを踏まえて、住田氏は「新しいライフスタイルとは、人間中心主義、自己実現、ヒューマニズム、成長神話、覇権主義、競争主義にみられるカルチャーに対して、自己評価し、神(創造主)の御前に、世の中の価値観に対するカウンターカルチャーとして、自らの生き方を見出すことです。神の御前に、富むこと、足るを知る生き方です」と述べた。
また環境問題を考える際にキリスト者として大切な視点として、「そもそも地球は誰のものでしょうか?人間のものだと考えるのでなく、人間はあくまで神様に管理が委ねられている立場で存在しています。山上の垂訓、イエス様の生涯、価値観を改めて見ると、様々なことが見えてきます。聖書に基づく社会・経済・技術および学術、倫理軸を再構築していくのがキリスト者の使命であり、今こそそれが問われているといえるのではないでしょうか」と呼びかけた。
また現代社会に顕著に見られる罪として「むさぼりと偶像礼拝」に陥っている現代人の様相について、「目・口・耳が大きく、自分が欲しいと思うもの、欲しいと思う情報は何でも得ようとし、そのために大いに口論しようとしている一方、自分自身が周りの環境や人たちにどのような影響を与えているのかということには関心がない状態である」ことを指摘し、「人のモノに対する執着を聖書は明確に伝えています」と述べた。同様にキリスト教界においても、これまで行ってきた活動について「可能な限り検証しなければなりません。教会が謙虚さを失い、独善主義・カルト化しないためにも、神の御前に客観的に検証していく必要があるでしょう」と警告した。
その上で「現代社会は、大量生産・大量消費による経済的な豊かさを追求するという『むさぼり』が生じており、現代社会の行きつく先は『貪欲』という底なし沼の偶像礼拝でしかありません。人のむさぼりやはなはだしい欲望は極めて大きな罪です。富を偏在極大化させ、自然な存在価値を否定し、そのような自然なあり方に対して無関心となってしまいます。これは神様から離れた、神様の委託の範囲を越えた『むさぼり』であり『偶像礼拝』といえるでしょう」と警告した。
住田氏は、現代キリスト者が福音をなんとなしに天国に入るために必要な書物として伝えるだけではなく、「地の管理」を委ねられたものとして、聖書的世界観に基づいて、現実社会での「見える部分」、「見えない部分」、「知らない部分」について現状を検証し、誰にでもわかる言葉でコミュニケーションする努力をしつつ、福音に基づく生き方を提示し、世の光、地の塩としての役割を明らかにし、福音宣教に寄与する必要があるとし、「これまでもっとクリスチャンとしてやるべきことが山ほどあったのではないでしょうか?クリスチャンが人間中心主義の中に巻き込まれてしまっているのではないでしょうか。私たち自身も何を悔い改めて行くべきかを考えて行くべきであると思います」と述べた。
東日本大震災や環境問題など社会問題において、住田氏は「責められるべきは政府・行政機関の人たちだけではなく、キリスト教会が『人が罪人である』ことを知っているはずであるのに、(社会に対してきちんと)世の光、地の塩としての役割を果たせてきたのか、またそのような視点があるのかについて点検しなければならないのではないでしょうか」と問いかけた。
住田氏は、今後の社会問題に対するキリスト者のアプローチの仕方として「神の御前に、聖書の価値観にこだわって生きること、文化の形成が重要な課題です。人間中心のカルチャーに対する聖書に基づいたカウンターカルチャーの形成こそ、現代社会において、求められ、そして、明らかにする必要があります」と述べ、伝道者の書12章13節に書かれてあるように、世にあって「神の命令を守ること」に忠実であり、その価値観を伝えて生きるキリスト者の生を送っていくことの大切さを改めて訴えた。
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