イスラム諸国の多くでラマダーン(断食月)が終了し、断食明けの祝日が20日から22日まであった。ラマダーンの終わりは、イスラム社会に住むキリスト教徒に、ある種の安堵感を与える。というのも、ラマダーン期間中の断食によってイスラム教徒のストレスが高まることで、キリスト教徒との関係の悪化が生じやすいためである。
ミッション・ネットワーク・ニュース(MNN)によると、効果的な福音宣教のためのネットワーク構築を目指す米I.N.ネットワーク代表のロディ・ロードヒーバー氏は、「ラマダーンの月は、通常なら穏やかなイスラム教徒が、彼らの信仰において攻撃的になりやすい。特にキリスト教徒とのかかわりにおいてはなおさらだ」と述べている。イスラム教徒が攻撃的になることで、イスラム社会におけるキリスト教徒への迫害が強まる傾向があるという。実際、イスラム過激派勢力が優勢な一部の社会においては、ラマダーンの断食に参加しなかったという理由で非イスラム教徒が逮捕されるという事件も発生している。
米国のキリスト教指導者の一人であるブライアン・マクラーレン牧師は、ラマダーンの終わりについて、「信仰の隣人と平和を分かちあう、神が称えられる日」と捉えている。マクラーレン牧師は、キリスト者に対し、キリスト教とイスラム教という2つの信仰の架け橋となるための融和的活動として、ラマダーンの月にイスラムの習慣に合わせて日中の飲食を避けることを勧めている。先月には自らもラマダーンに参加する計画を発表しており、「私たちはイスラム教徒に改宗するために断食を行うのではありません。私たちは本当に信仰のあるキリスト教徒です。しかしキリスト教徒としてイスラム教徒である隣人に近づき、彼らの信仰の重要な部分を共有したいのです」と述べている。
一方、マクラーレン牧師のイスラム教徒に対する融和的アプローチについては、批判の声もある。米アプライジング・ミニストリーのケン・シルバ牧師は、第2コリント6章の聖句「あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか。キリストとベリアルにどんな調和がありますか。信仰と不信仰に何の関係がありますか」を引用し、「隣人としてのイスラム教徒を思うマクラーレン牧師の気持ちは理解できるが、神は明らかに、マクラーレン牧師が勧めるようなことをするようにとは伝えておりません。キリスト教徒は御言葉に忠実であるべきであり、マクラーレン牧師の勧めに従うことは御言葉の濫用につながります。イスラム教の犠牲は神のための犠牲ではなく、悪魔のための犠牲につながります」と厳しく批判している。
ただシルバ牧師は、イスラム教徒の救いのためにラマダーンに共に断食し、祈りを捧げるキリスト教徒すべてが御言葉を濫用しているとまでは批判していない。事実、ラマダーンの月に、イスラム教徒とともに断食をしないまでも、彼らのために祈ることを勧めているキリスト者は多く存在する。一方イスラム教徒の中にも、ラマダーン期間中に神の存在を模索し、真理を追究しようとする多くの敬虔な信徒がいる。MNNなどの団体はキリスト者に対し、真の救い主はイエス・キリストであることをイスラム教徒が知ることができるように、特にまだ若いイスラム教徒の中で、神の存在や真理をラマダーンの月に真摯に求めている人々が、キリストの救いの確信を得られるようにと祈ることを勧めている。