私は子どもの頃から、ヤクザといわれる人たちに多く出会ってきた。家が教会の2階だったので、お風呂がなく、銭湯に通う日々を送っていたのだが、そこには入れ墨を入れた人が多くいた。私は子ども心に、大人は皆、入れ墨があるものだと思っていて、それがない父を不思議に思っていた。私が住んでいた横浜のとある街には、そのような人たちが多かったのだろう。
それから月日が流れ、次に出会ったのが元ヤクザの進藤龍也牧師だった。JTJ宣教神学校に入学した初日に、後ろの方に明らかに他の学生とはオーラの異なる眼光の鋭い人が座っていた。それが、神学生になったばかりの当時の進藤牧師の姿だった。
在学中は自分の体調悪化もあって、教室に顔を出せる日は多くはなく、あまり親しくなることはなかった。しかし、卒業後にいろいろと会う機会があり、特に沖縄に説教者として来られたとき、旧交を温めることができた。そして、進藤牧師を通して、引退したヤクザや海外の元ギャングの牧師といったような人たちにも出会ったが、心の温かく人間味のある人が多かった。
進藤牧師は神学校卒業後、自分で教会を始めた当初から、刑務所にいる人たちに手紙を書いたり、面談に行ったりして、彼らの精神面をケアしたり、社会復帰をサポートしたりしてきた。教会で神様の愛が語られることは多いけれど、社会のレールから外れてしまった人たちを体当たりでケアできる人は少ない。進藤牧師はそういう愛の実践をしてこられた人だ。そして、進藤牧師が手紙を書いたり、面会に行ったりしたことで信仰に導かれたのが、本書の手記を書いた小日向将人死刑囚だ。
小日向死刑囚の手記を読むと、彼が身を置いていた世界の理不尽さや葛藤がよく分かる。そして、この「小日向将人」という人も、仕える「親分」を間違えなければ、子ども思いの普通の父親として人生を歩めたのだろうと思う。
小日向死刑囚は若い時に、ある組長を親父と仰ぎ、彼についていこうと決めた。しかし、時間がたつにつれ、自分は組織に利用されるばかりで、親身に自分のことを考えてくれているわけではないことに気が付いていく。彼は、一般人を巻き込む可能性のある襲撃はやめよう、負傷している自分は外してくれなどと、再三にわたり襲撃の決行を覆そうとするが、親分の理不尽な命令によって板挟みになっていく。手記にはその様子が克明に記されている。
普通の感覚では、そんなに嫌なら組織から抜けたらよいのではないかと思うかもしれないが、家族の居場所も知られている身としては、上の命令に従わざるを得なかったようである。そして、他の組員が親分に逆らったことで殺害されたことを知った後には、その心情を次のように記している。
進退きわまるとは、このようなことを言うんだなと思いました。行くのも地獄、帰るのも地獄・・・
結局は、共犯者と共に一般人3人を含む4人を殺害する未曽有の大事件を起こし、死刑を言い渡されることになる。こうなると被害者の家族はもとより、世間からも非難と罵声を浴びせられ、誰からも受け入れられなくなるのが通常であろう。しかも彼は、被害者に対する謝罪の気持ちから真相を明らかにするために全てを自白し、その結果、仲間であったはずの組織からも「裏切り者」という烙印(らくいん)を押されてしまった。
そんな頃、「罪人の友」主イエス・キリスト教会の進藤牧師が、東京拘置所にわざわざ面会に来てくれたと手記には記されている。ここからは、進藤牧師による小日向死刑囚への関わりがどのような結果をもたらしたのか、本文を引用して確認してみたい。まず彼らは少年ヤクザ時代に出会っていたそうで、その経緯が書かれている。
実は進藤牧師とは、お互い少年ヤクザだった頃、占有物件の占拠に駆り出された時、顔を合わせているのです。私の代わりに引き継ぎにやってきた進藤牧師が住居侵入で逮捕されたのです。そのようないきさつがあり、面会に来てくれたのです。
一般人からすると、ヤクザの仕事にも「引き継ぎ」があるのだなと思ってしまうが、占有物件の占拠という場面で知り合った2人は、地元が同じ埼玉県だったこともあり、話が弾んだようだ。その後、長い年月を経て、一人は牧師となり、一人は死刑囚となって再会したのである。
進藤牧師は開口一番、「天国への片道切符を持ってきたよ」と言って彼との交流を始め、聖書の通読を勧めたという。この辺のくだりは、進藤牧師の別の著書『極道牧師の辻説法』にも書かれてある。彼の2作目の著書であるが、2010年4月の刊行なので、それ以前の話である。その頃の小日向死刑囚の心情は次のように記されている。
始めは何を言っているのかさっぱりわかりませんでしたが、それ以来文通をするようになり、だんだんわかるようになってきました。・・・私は毎日(聖書を)少しずつ読んでみました。読んでいくうちにぐいぐい引き込まれていく感じがしました。「すごいなあキリストって、すごいなあ聖書って」と、素直に思いました。また、私のような犯罪者でも同じ人間として見てくれる、キリスト教っていいなぁと思いました。そこで私は「クリスチャンになろう!!」と強く思いました。
世間からも組織からも疎外される状況となった彼が、聖書を通してキリストの愛に触れていく様子がつづられている。「私のような犯罪者でも同じ人間として見てくれる」。これは彼にとって非常に大きな気付きとなった。
神の目から見れば、一見まじめに生きている人も、犯罪を犯すような人も、等しく罪人であり、等しく赦(ゆる)されるべき存在、愛されるべき存在である。そのことを親鸞聖人は「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と説いたが、その源泉は新羅の華厳宗の学者である元暁(がんぎょう)であり、さらにはキリストの以下の言葉につながっている。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(マルコによる福音書2章17節、口語訳)
ここでいう「善人」「義人」「丈夫な人」というのは、自力で正しい人になろうとしている人(正しいつもりの人)のことである。キリストは、自らを正しい人だと自認していた律法学者やパリサイ人たちを、人一倍厳しく糾弾された。そして、自ら義人となり得ないことに気付き、自分の罪を告白して神に頼る者たちを、神は喜んで迎え入れてくださると教えられたのだ。
とはいえ、実際の殺人者や死刑囚を前に、この言葉を文字通り実践することは容易なことではない。そして、いくら聖書にこのようなことが書かれていても、それを体現するクリスチャンがいなければ、誰もそれを実感することはできない。しかし、文字通り同じ一人の人間として接してくれた進藤牧師によって、小日向死刑囚は祈る者となり、クリスチャンとなった。このように書かれている。
今は毎日事件で亡くなられた方々や、ご遺族のために祈らせてもらっています。私は、主イエス・キリストに拾われました。・・・進藤牧師に感謝、感謝です。今は、クリスチャンになりました。そして亡くなられた方々のために毎日神様に祈らせてもらっています。亡くなられた被害者に、私のできることと言えば神様に祈ることくらいしかありません。ただただ、ご冥福を祈るばかりです。
彼はヤクザであり、殺人者である。しかし、その彼は自分の罪を悔い、神を信じ、祈る者となった。進藤牧師がいつも言っているように、どんな人でも回心することができるのだ。
とはいえ、被害者の遺族の心中を思うと、事は単純ではない。遺族からは「なぜこんなやつを支援するんだ」と思われているかもしれない。そして、進藤牧師もそのことを重々承知している。その上で進藤牧師は本書の中で、このように語っている(書籍には、進藤牧師の言葉や、小日向死刑囚とやりとりした手紙の内容なども記載されている)。
人は誰しも過ちを犯すんです。どんな犯罪者でも誠実に向き合えば、本当に変われると信じています。社会が見捨てた人間でも、私は誰も見捨てたくない。
進藤牧師は、刑務所や法律について、罰を与えておしまいではなく、人を更生させることが本来の役割であるべきだと強調している。
自らの罪を悔い改めて死刑が執行されるのと、そうでないことには大きな違いがあると思います。本人のためにも、被害者や遺族の方のためにも、そうあるべきです。
また、進藤牧師の死刑に関する考え方も参考になるので抜粋して引用しておきたい。
死刑廃絶が進む国際社会から取り残されますし、近年は「死刑になりたい」と言って周りを巻き込む事件が本当に多い。・・・抑止力になっていませんよね。毎年、悲惨な事件が起きています。クリスチャンとしては、人の命はあくまでも神様が握っていると考えます。人間のすることには間違いだってつきものです。冤罪(えんざい)だってあり得ます。
小日向の犯行により、一方的に大切な家族を奪われた遺族の辛さは凄まじいものだと思います。彼のことは絶対に許せない、それは当たり前です。ただ、法による復讐(ふくしゅう)劇で、スッキリできるのでしょうか・・・。
今すぐ死刑制度を廃止せよ、というのではなく、しっかりと議論をすべきだと思います。刑務官の心理的な負担もものすごいですし、国際社会の潮流に反して、死刑制度を続けるなら続けるで、もっとしっかりと議論すべきことはいくらでもあると思うんです。何より法治国家であるのに、国民に秘密裏に死刑を執行してしまうことが問題だと考えています。誰を、いつ、どんな基準で執行を決めたのかを公表しない。法に定められ、やましいことが無いのであるならば、すべて公にするべきです。今のままでは分からないことばかりで、死刑の議論がそもそもできません。
進藤牧師はなぜこれほどまでに、犯罪者たちに寄り添うことができるのだろうか。それは、彼が全く同じ境遇を経験してきたからである。彼自身も何度も法を犯して刑務所に入れられ、薬物に手を出し、家庭は崩壊し、多くの絶望を味わった。だからこそ彼は、同じ境遇にある人たちのことを他人事とは思えないのである。
小日向死刑囚が仕えた親分は、当初は漢気のある人物で、子分たちをかばうために自分の指を詰めることもいとわなかったようである。彼はそこにほれて、親父としてその親分に仕えることに決めた。しかし、手記を読む限り、その親分からの要求はやがて理不尽なものばかりになっていき、小日向死刑囚は文字通り鉄砲玉として使い捨てられることになってしまった。
一方の進藤牧師は、組織を出てイエス様を親分として仕えることに決めた。この仕える親分の違いが、2人の命運を大きく分けてしまうことになった。しかし、せめてもの希望は小日向死刑囚も進藤牧師を通して、イエス・キリストに出会い、祈る者へと変えられ、今では自分が命を奪ってしまった人やその遺族のために毎日神様に祈っていることである。
最後に付されている、小日向死刑囚が進藤牧師に託した彼の「遺言状」は涙なくして読むことはできない。私もそれを読んで何度も泣いた。非常に惜しむべくは、彼がもう少し早く新しい親分に出会っていたらということである。そうすれば、彼も彼の家族も、また被害者とその遺族も、全く違う人生を歩んでいたに違いない。最後に、遺言状の内容を一部抜粋して終わりにしたい。
愛する子供たちへ。淋(さび)しい思いをさせ、肩身のせまい思いをさせ、苦労をかけて本当にすまなかった・・・
ママを大切にしなさい。貧乏でもいい、肩をよせあって、助け合って幸せに暮らすのが家族なんだよ・・・
これだけは覚えていてほしい。「人生で1番大切なのは家族」なんだよ。金や名誉なんてどうでもいいんだよ・・・ママをたのむよ、ママをたのむ・・・。
最愛のママへ、女1人の子育て、本当にご苦労様でした。・・・本当に苦労をかけて申し訳なかった。・・・長生きしてね。・・・会えなくなって、もう何年たつだろう? 1人ぼっちになっちゃったよ。会いたいよ。1人ぼっちはもういやだよ。・・・最後に、神様にママと子供たちの幸せを毎日祈っているよ。苦労かけてゴメンね。
■ 小日向将人著『死刑囚になったヒットマン 「前橋スナック銃乱射事件」実行犯・獄中手記』(文藝春秋、2024年1月)
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