神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私が目ざめるとき、私はなおも、あなたともにいます。(詩篇139:17、18)
今の時代に生きる私たちは、情報の洪水の中に立たされていると言っても過言ではないと思います。知らないうちに偽情報を吹き込まれ、ある特定の勢力に引っ張られているかもしれないと警戒する必要があるかもしれません。
最近、マスコミの偏向報道がひどくなっているように感じるのは私だけでしょうか。イスラエルの空爆によってガザの病院が爆撃され、500人が亡くなったらしいということが大手メディアで報じられると、世界中でイスラエル非難の声が上がりました。
イスラエル当局が爆撃を否定し、イスラム過激派のロケット砲の打ち上げ失敗により、残骸が病院の駐車場に落下して起こった爆発だと発表しました。証拠の映像や打ち上げに失敗したという無線の音声を示しても、ほとんどメディアが注目しませんでした。その中でもニューヨークタイムズは誤報を認め、訂正しています。
激しい情報合戦の中に立たされていますので、決してテレビの報じることをうのみにしたり、新聞に書いてあるからといって全てを信じたりしてはいけないと思います。複数の情報元を照合してみることが必要ではないでしょうか。どんな時にも霊の目を開いて吟味したほうがいいと思います。本当に信じられるのは聖書の言葉だけです。学問は大切ですが、信じ過ぎるのはよくないといわれます。
実は、情報合戦は古代から行われています。書物として残されていても、全て本当のことが記されているとは限りません。日本では、江戸時代から邪馬台国論争が続いています。魏志倭人伝の中に記されている邪馬台国がどこにあったのかを調べようとして一生をささげた人もいます。日本史を学ぶときに、空白の2世紀とか4世紀という表現がなされ、不安定な日本史とやゆする人もいます。
中華思想では、自分たちの国だけ文明が進んでおり、周りの国は野蛮という考えがありました。だから、日本のことも邪悪な馬の国、邪馬台国となっています。これを「ヤマタイコク」と読んだのが間違いの元だと思います。
中国では、日本語の音を聞いて当て字を記したといわれています。「ヤマトコク」と聞いて、「邪馬台国」と書いたのではないでしょうか。日本語の「ト」の音に「台」という当て字を用いることもあるそうです。そうすれば邪馬台国は大和国となり、近畿地方にあったということで問題は解決します。
それでは、卑弥呼は誰かということになります。魏の国を訪れた使者が「われわれは大和国に住んでいて、天照大神に仕えています」と報告したのではないでしょうか。天照大神は日神子とも表現されますので、ヒミコと言ったのかもしれません。中華風の貶める表現にすれば、卑弥呼になります。
最近では、魏志倭人伝には偽情報があると認めている歴史学者が増えています。邪馬台国が海路をどのくらい航行し、陸路をどのくらい進んだ所にあると詳しく書いてあっても、うその情報であればたどり着くはずはありません。
魏志倭人伝の著者は、なぜ偽りの文書を残したのでしょうか。これは私の個人的な意見ですが、王様に対して仕事の成果を報告しなければならなかった宮廷の書記官が、苦し紛れにまとめたものではないかと思います。伝聞を基にして想像を膨らませて書いたのに王様がえらく気に入り、公式の文書になったのかもしれません。
福岡の志賀島の田んぼで江戸時代に発見された漢委奴国王という金印が、1931年に国宝に指定され、教科書に登場していますが、どうやら本物ではないという説を唱える国史学者もいるようです。殿様の気を引こうとした家臣が中国に発注して作らせたというのが真相ではないかといわれています。
人の世では、絶対大丈夫と思われていたものが、一夜にして崩れたということは多々あります。これは間違いないと信じられていたものが、覆ってしまうことも珍しくありません。
高名な学者の意見が全部、正しいわけではありません。有名なジャーナリストの発言でも、うのみにするのはおかしいです。また、A新聞だから、Nテレビだからといって信じてしまうのは愚かだと思います。報道各社の経営陣の思惑、製作現場のスタッフの思想信条も番組に反映されることがあります。
天地宇宙を支配しておられる神と心が通じるしか、真理を探る道はありません。天の神を認めたくない科学者は「something great」とか「宇宙の支配者」などという表現をしますが、同じことです。神の言葉が記されている聖書をよりどころとして、ひたすら祈ることで、霊的覚醒を得ることができるのではないでしょうか。
どんな時にも、自分の中に聖書を基準として判断し、そしゃくして受け止める心構えが必要なのではないかと思います。今の時代、情報は混乱の度合いを深めますので気を付けなければなりません。
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:31、32)
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