次第に筋肉が衰え、呼吸機能を含めた全身の運動機能が徐々に失われていく筋萎縮性側索硬化症(ALS)。原因はまだ十分に解明されておらず、根治的な治療法がない難病だ。病状の進行は比較的速く、人工呼吸器を用いなければ、多くの場合2~5年で亡くなってしまうとされる。
小学1年の時に出会って以来、紆余曲折を経ながらも40年越しの愛が実り、異国の地シドニーで幸せに暮らしていた林伸義さんと敦子さんを襲ったのが、この難病だった。
昨年末に出版された『このいのちの日のかぎり』は、2人の出会いとともに、敦子さんの異変に気付いてから5年にわたった闘病・介護生活を記した一冊だ。そこには、死を前にした恐怖や不安、度重なる困難に直面する中で口にしてしまう弱音や行き場のない怒り、難病介護の現実から来る苦悩が素直につづられている。
そんな試練のただ中に放り込まれた2人を支え、励まし、進むべき方向へと導いてくれたのが、他でもない、聖書の言葉だった。2人の日々のうめきに答えるようにして与えられる数々の御言葉。そして、時々に与えてくださる不思議な経験。そこには確かに、試練の中を導いてくださる主の温かい御手を感じ取ることができる。
敦子さんが、ALSであることがほぼ間違いないと診断され、余命約2年と宣告されたのが、2018年4月。絶望感にとらわれた日々を過ごす中、自宅の郵便受けに1枚の小さなカードが入っていたのが、翌月のことだった。
カードの送り主は、近所に住む一人の女性。引っ込み思案な一人息子と暮らすこの女性とは、あいさつを交わす程度の関係だったが、敦子さんが難病であることを知ると優しく声をかけてくれた。女性はクリスチャンではなかったが、カードにはなぜか、シドニーにある日本人教会の電話番号が書かれていた。
伸義さんがその日のうちに電話し、事情を説明すると、日本人教会の牧師は3日後の家庭訪問を約束。それから始まったのが、牧師、伸義さん、敦子さんによる「3人教会」だった。この「3人教会」は、同年8月にオーストラリア西岸の町ヤライアラップに移住するまでの約3カ月間、毎週のように持たれるが、伸義さん、敦子さんにとっては、なくてはならない心のよりどころとなった。
未受洗だった敦子さんは、この「3人教会」で受洗。また、シドニーの日本人教会に行く機会も2回与えられた。特に教会で経験した主にある兄弟姉妹との交わりは、敦子さんに大きな感動をもたらした。当時、既に車椅子なしでは移動できなくなっていた敦子さんは、次のようにつづっている。
久しくこんなに笑ったことはなかったので、「ああ、何て幸せなんだろう」と、私は体の苦しさも忘れてしまっていた。人生の中で、今まで体験したことのなかったこの幸せは、神さまからのお恵みであると信じた。神の家族である教会の兄弟姉妹である皆さんに、あふれるばかりの愛で励まされ、今朝まで潰(つぶ)れそうだったのに、まるで別人のように明るくおしゃべりをしている自分に気がついた。
(中略)ああ、主よ。この素晴らしい兄弟姉妹との交わり、ありがとうございます。教会には絶対に行けないだろうと落胆していましたが、主には全く不可能はないんですね。
難病との闘いという2人の長い旅路は、ヤライアラップ移住後も続く。敦子さんの体が日に日に弱くなり、食事から排尿・排泄、洗顔、歯磨き、着替え、入浴など、ありとあらゆる世話を一人でしなければいけないつらさから、伸義さんは何度も介護を投げ出したくなる。しかし、そんな苦しさの中でも支えになったのは、やはり聖書の言葉であり、神の家族である教会の兄弟姉妹たちの存在だった。
2021年5月30日。その日の敦子さんの様子について、伸義さんは「なぜか、『自分の時が来た』と妻は知っているようでした」とつづっている。「体が熱い」と言うので、濡れたタオルで体を拭いてあげたが、わずか1時間ほどで容体が急変。敦子さんを担当してくれていた介護士に電話してすぐに来てもらった。
2人で様子を見守る中、敦子さんはかすかな声で、大好きだったという1960年代のヒット曲を聞きたいとリクエスト。曲を流し、伸義さんと介護士も一緒に口ずさんだ。曲が終わったころには、わずかにあった敦子さんの首の動きは既に止まっていた。
その時、私は「神さまがあっちゃん(敦子さん)を引き取ってくれた」と確信しました。「神さま、ありがとうございます。あっちゃんを苦痛から完全に解放してくださって・・・!!」 この感謝のことば以外、何も出てきません。妻は神さまがお創りになった、大切な宝だと信じています。
妻亡き後の悲しみはもちろんあった。直後には感謝の言葉が出たものの、教会の兄弟姉妹が慰めのために来て祈ってくれると、押さえていた感情が爆発。泣き崩れてしまい、気付いたときには、敦子さんのベッドの横で眠ってしまっていた。
また、それまでの介護一色の張り詰めた生活が突然終わりを迎え、強烈な虚脱感や無気力にも襲われた。半年がたっても、朝一番にパソコンに保存した敦子さんの写真を開き、独り言の会話をすることから始まる日々を過ごした。それでも、伸義さんは本書の最後で次のようにつづっている。
どこか私の心に、何か割り切れない思いとわだかまりが残っていました。「なぜ神さまは、愛する妻を私から連れ去ってしまったのか? なぜ、苦しんでいた妻を、癒やしてくれなかったのか? なぜ? なぜ?」 しかし、神さまの栄光が満ちあふれた御国で、愛する人たちと共に永遠に生きることができるのなら、心に残っていた「なぜ?」への答えなど、知る必要もないと思います。
(中略)主なる神さまと共に歩むことは、必ずしも平穏無事な日々ばかりではありません。苦しい試練の日々もあり、淋(さび)しくつらい日もあります。しかし、どんなにつらく苦しい状況の中でも、イエスさまは私たちと共におられ、一歩、また一歩と一緒に歩いてくださり、その力強い御手で、私たちをしっかりと支えてくださいます。
イエスさまが与えてくださった永遠の希望とは、愛する人と天で再会できる確信なのです。イエスさまと妻にまた会える、その再会の日を心待ちにしております。マラナ・タ!(主よ、来てください!)
伸義さんはヤライアラップ移住後、敦子さんを介護する中、自身もがんの発見と再発を経験し、放射線治療を2度受ける試練を通った。さらに、敦子さんが亡くなった後にも再々発。3度目のがんが見つかったときには、「正直、人生をギブアップしていました」と話す。しかし3度目のがんは、腫瘍が大きくなることなく、経過を見守る中で不思議と消えていった。
この3度目のがんの癒やしは、伸義さんに新たな命の息を吹き入れてくれた。敦子さんが闘病中に書きためていた原稿を出版することが祈りの中で示され、日本の出版社に連絡。約1年の準備期間を経て、出版にこぎ着けた。敦子さんが亡くなってからはや2年余り。現在の心境を尋ねると、次のように話してくれた。
「試練を通して初めて体験した神さまとの深い個人的な交わりは、今も進行形です。神さまが共にいてくださるので、どんな厳しい試練でも乗り越えられると確信しています。御力により、最後まで妻の介護をすることができ、私は本当に幸せな人間です。残された私の日々、自分を明け渡し、神さまにお任せして生きています」
『このいのちの日のかぎり』は、全国のキリスト教書店のほか、アマゾンなどのネットショップで購入できる。