2月8日にケンタッキー州ウィルモアにあるアズベリー大学の定例の礼拝に端を発したリバイバルは、その後350時間を超える不断の礼拝となり、今のところ、リー大学、サムフォード大学、シダビル大学、テキサスA&M、イースタン・ケンタッキー大学、バレーフォージ大学、ハンニバル・ラグレンジ大学、カンバーランド大学など、すでに複数のキャンパスに飛び火している。アズベリー大学のヒューズ記念講堂には、全米はおろか、海外からも多くの人々が詰めかけた。
同大では、今回の刷新を「リバイバル」とは呼ばずに「(聖霊の)傾注(outpouring)」と呼ぶ。これをリバイバルと呼ぶには、歴史家の評価を待たなければならないということなのだろう。つまり、この覚醒の結果、中長期にわたっての国や社会、個人の変革や多くの魂の救霊など、実際の結実を見る必要があるということだ。いわば今起きているのは「発火」の段階ということなのである。
アズベリー大学学長のケビン・ブラウン博士は21日、次のように声明を出し、同大で2週間以上続いた不断の礼拝を終了する旨を伝えた。
「2023年2月8日、アズベリー大学の定期的なチャペル礼拝は終わることがありませんでした。それ以来、私たちは計り知れない善き流れが私たちのコミュニティーに押し寄せ、瞬く間に世界のさまざまな地域へと伝達していくのを経験しています」
「アズベリー大学とアズベリー神学校で行われたこの数週間にわたる歴史的な集いは、2月23日に私たちがホストを務める全米大学祈祷日の集会とそのライブストリームをもって終わりを告げます。私たちのキャンパスの学生たちから始まったことですが、全米の学生たちがこの祈りと礼拝に加わることによって終わりを告げるのは、実にふさわしいことではないでしょうか」
「このスケジュールは、今回起きた美しく歴史的な霊的刷新の瞬間を認識し管理する試みであると同時に、学生たちにとって、予測可能で健全かつ連続性を育む、より持続可能なキャンパス体験へと迅速に移行するためのものです」とブラウン氏は説明した。
しかし学長は、この運動は「まだ終わっていない」と断言する。
「他の大学や教会でも同様の礼拝が飛び火しています。私たちはむしろ、この神の働きが、他の人々、場所、ミニストリーを通して続くことを後押ししているのです」
「アズベリー大学では、この経験をどのように生かし、どのように扱うかについて、学生たちと共に注意深く考えることに興奮しています。私たちは、学生の声を聞きたいと思います。さらには、継続的な弟子化の中で、私たちは学生たちと共に歩みたいのです。そして彼らが 『世の光』『地の塩』となって世に仕え、神をたたえることができるよう、委ねていきたいと願ってやみません」とブラウン氏は締めくくった。
大学での集会は終わるが、アズベリーのリーダーたちは、ここで起きたことはケンタッキー州の中心部の他の場所で継続されると語った。それがどこなのか今はまだ明らかではない。アズベリー大学は、ここで経験したことを「外に出て」人々に分かち合ってほしいと願っている。
興味深いことに、この覚醒を通して、神がご自身の主権をもってなしておられることが複合的に折り重なっていることが分かった。
その一つは、このタイミングで公開された映画「ジーザス・レボリューション」だ。このムーブメントは、1970年のアズベリー・リバイバルとのつながりが深く、何年も前から制作が決まっていた映画なのだ。
そして2つ目が、2月23日の大学祈祷日であり、このイベントのホストが、1年以上も前から持ち回りでアズベリー大学に決まっていた。この大学祈祷日には200年以上もの歴史があり、歴史的にはリバイバルとともに歩んできたのだ。
3つ目は、この祈祷日が1823年、全米のほとんどの大学が参画するようになってスタートを切ってから、今年でちょうど200年になるのだ。
これらを偶然の一致というにはあまりにもでき過ぎているではないか。まさにこれは天の演出という他ないだろう。主の御名をたたえよう。
このリバイバルには、リバイバリストはいない。また教派性や党派性、特定の人々の神学的立場や政治的主張などからは、注意深く一線を画しているように見える。全くの無名の学生たちの祈りから自然発火的に火がついたこの覚醒において、主イエス以外の誰かが脚光を浴びることはないのだ。
グローバル化が極まった現代において、これは海の向こうの別世界の出来事ではなく、まさに明日、世界のどの地域でも(もちろんこの日本でも!)起き得ることだということを覚えたい。特に次世代を担う若者や学生たちのために祈り、支え、備えていきたいと願うものである。
英米のリバイバルの歴史において、学生や若者たちが立ち上がり、世界にどれほどの若き宣教師たちを送り出したのか計り知れない。学生や若者たちが、その中核をいかに担ったのかを説明している興味深い記事「大学祈祷日の歴史」が、全米大学祈祷日のホームページにあったので、少し長いがそのまま以下に掲載する。
【米国で初めての大学祈祷の運動】
米国の歴史を通して、わが国の大学は霊的覚醒の激しい季節によって繰り返し祝福され、そして変化してきた。多くの優れた大学の初期の記録は、実際に霊的復興が起きたことの歴史であるかのように読めるのだ。実際、米国ほど多くの学生たちが、何年にもわたって継続的に霊的覚醒を経験した国は他にない。このような学生リバイバルの最初の報告は、18世紀の第1次大覚醒の記録に見ることができる。しかし、最も強力な学生リバイバルとそれを支える祈りの運動を生み出したのは、第2次大覚醒(1790〜1845)だった。この恵みの傾注は、1780年代半ばに再開された月例祈祷会の成果だったといえよう。霊的覚醒は1790年代初頭に東北地方で始まり、1800年までに西部辺境に広がった。そして1840年代半ばまでには、米国全土のほとんど全ての地域に届いていったのだ。米国では、半世紀もの間、本物のリバイバルが国中のどこかで必ず起きていたのである。
【学生が進めば、国も進む】
この長期にわたるリバイバルの時期に教会の指導者たちは、「祈りの共演会」運動の実証された原則を、大学生の霊的必要に適用し始めた。1815年までに「大学のための祈りの共演会」は、ニューイングランドのイェール、ウィリアムズ、ブラウン、ミドルベリーのキャンパスで定期的に開催されるようになった。1823年までには、米国のほとんど全ての主要な教派と大学が「大学のための祈りの日」を実践したのだ。この時代の米国の全ての大学は、教会を通して設立されたため、大学教育の主な目的は、次世代の福音主義的指導者の育成として期待が寄せられていたのだ。米国の教会は、このような学生たちの共同体を、自分たちの信徒、文化、社会の来るべき未来を担うものと見なしていたのである。自分たちの教会や国全体の方向性は、決して遠くない未来、米国の大学生の霊的な傾向や資質に従うようになると信じていたのだ。このような学生に対する先見の明があったからこそ、米国の教会は、国を挙げて、大学のための全国的な祈りの日の呼びかけに、すぐに応じることができたのである。
【米国の大学の道徳的風土を変革する】
ヘンリー・C・フィッシュは、『リバイバル・ハンドブック』の中で、この特別な祈りの日の継続的な成功について、もう一つ述べている。彼は「1823年、毎年2月の最終木曜日を、神がその御座から、私たちの大学と神学校に格別に御霊を注いでくださる日として特別に祈る日とすることで合意した」と言ったのだ。その結果、どのようなことが起こったか。1824年と1825年には、5つの大学でリバイバルが起こり、1826年には6つの大学で、1831年には19の大学で起きた。ある大学では、祈りの共演会のまさにその日にリバイバルが始まったといわれている。1835年には、さまざまな18以上の大学からのリバイバルが報告されている。19世紀の終わりには、こうした学生の度重なる霊的目覚めが、多くの大規模な大学の文化と道徳的風土を根本的に変えてしまったのだ。その結果、この時代の多くの牧師たちは「もし子どもたちが安全に健全に改心するのを見たいのであれば、子どもたちを大学に送るようにしなさい」と信徒たちに勧めるほどだった。
【大学の目覚めのための一致の祈り】
この歴史的な祈りの運動が力を発揮した最盛期、米国の教会が祈りのためにフォーカスしていた大学はわずか200校ほどだった。それから200年後の今日、われわれには、神の民の熱心な祈りを切実に必要とする3200校の4年制大学と何百もの2年制大学がある。教会全体の視線と祈りとが一つになって大学生の必要性に向けられるとき、一致した祈りを愛する神は、立ち上がってわれらの祈りに答えてくださるだろう。
「この日はしばしば大学におけるリバイバルの始まりとなる・・・この偉大な全国祈祷会の影響力がどれほど大きいものなのか、それを見積もることは不可能である」(ルーサー・D・ウィシャード、1882年)
「大学祈祷日の歴史」より
無気力やうつ、自殺など「うつカルチャー」がはびこるとしばしばいわれることがあるZ世代(現在のティーンエイジャーから25歳くらいまでを指す)の若者たちに主が力強く望んでおられる。主は決してこの世代を見捨ててはおられない。彼らがキリストのうちに人生の意義や目的を見いだし、聖められた主の精鋭として、明日の世界に、福音にある希望の火を投じることのできるよう、祈っていただきたい。
■ 米国の宗教人口
プロテスタント 35・3%
カトリック 21・2%
正教 1・7%
ユダヤ教 1・7%
イスラム 1・6%
無神論 16・5%