保育施設における虐待のニュースについて、私の周囲の人に聞いてみると、「あんなの虐待って言わないよ。昔はあんなものだった」と言う人から、「時代錯誤も甚だしい。許されない」と言う人までいろいろいました。
では、虐待とは一体何なのでしょうか。厚生労働省によると、虐待は「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト(養育の放棄・怠慢)」「心理的虐待」に大別されています。しかし、ここで定義されている虐待は得てしてグレーゾーンを抱えています。これは重要な着目点です。つまり、「虐待であることを誰がどのように認定するのか」という問題があるのです。
具体的に言えば、私は幼い頃、近所のお兄さんに足を持たれて逆さづりにされることが好きでした。無論、誰からされても喜んだかと問われれば違うと思います。ここには、幼かった私と近所のお兄さんの間に無言の信頼関係があったのだと思います。そして、私の両親もその信頼関係を受け入れていました。だから、虐待にはならなかったのです。はっきり言えば、それを「虐待」だと言って問題にすることは、当事者に言わせれば「余計なお世話」ということです。
ある母親から以前相談を受けたケースですが、「知り合いに米国人がいて、彼女が私の赤ちゃんを抱っこしてキスをしたことが不愉快で仕方がないんです。それ以来、私は彼女には私の子を抱いてほしくはないんです」というものがありました。なるほど、母親からすれば「性的虐待」に見えたのかもしれません。しかし、彼女は彼女で悩んでいるのです。「親しい米国人の友達からすれば、子どもに対する愛情の証しであって、それ以上ではないはず」ということは十分理解していたようです。ただ、その後の心配が彼女を襲うのでしょう。
虐待は誰が認定するのか
ここで気付く人もいるかもしれませんが、「虐待を虐待として認定する」ことは、実は大きな困難を伴うのです。親からすれば、強く叱らなければならないときもあります。育児ストレスでわが子の顔を見たくないと思うときもあります。どんなに努力をしても報われないと涙することもあるでしょう。そんな感覚の時に、「私は虐待してしまうひどい親なんじゃないか」と思いつめてしまう人も多いのです。
そして、その思いが他者に向くことがあります。そうなると、「私は虐待を心配して心配して、最新の注意を払っているのに、あの人(保育者)は!」となるのも、無理はないかもしれません。「じゃあ、出るところに出て、虐待かそうでないかを決めてもらおうじゃないか」となると、もはや手の打ちようがありません。
得てして、「虐待に敏感な人」は、「果たしてわが子は誰と信頼関係を結んでいるのか、結ぼうとしているのか」という疑問と並走することが苦手な人が多いというのが私の感覚です。「わが子と自分は不可分である」という前提に立つことが親の第一歩ですが、その思いとは裏腹に発達過程においては1歳くらいから2歳くらいまでに「親子分離」が始まります。ここをどう保育の側でサポートしていくかが最初の岐路となります。
子どもの成長という神の奇跡
子どもの成長というのは不思議です。私の娘が自転車の補助輪を外したいと言ったときのことです。頑張っていましたが、倒(こ)けつ転(まろ)びつしながら相当苦労していました。しばらくして、「疲れたー」と満足げに帰ってきました。
「明日もやる?」「うん」
翌日はスイスイと乗りこなせるようになりました。子どもにとっては、睡眠も大事なのだと思わされた瞬間でした。彼らは、寝ているうちにその日に得た情報を整理統合して次の日に備えるのです。
保護者の心配に寄り添うために
行き詰まっている保護者は、「私たちが子育てで困っていることを保育施設はどう解決してくれるのか、どう支援してくれるのか」という思いになっており、直接的かつ直感的な答えを求めます。保育施設はこういう求めに対し、果たして答えを用意できるでしょうか。
保護者支援においては、保育施設内での様子を伝えるのと同時に、保育施設で行っている対処法を予め伝えておくことが重要です。そして、自信を持って(迷いのない姿で)それを伝える姿勢が大切です。保護者支援の要諦は、「そのうち、こういうことが起きますから、そういう時にはこういうふうにしましょう」といった感じの「子育ての予言」を行うことなのです。
保護者に家庭での出来事や様子を聞くだけでは後追いになってしまいます。たとえ保護者が困っていることを相談してきたとして、「あ、そういうことをしてはダメですよ。こうしましょう」とアドバイスしたとしても、「無理です」の一言で片付けられる場合が多いです。この場合は、カウンセリングの際によく使われる「ソクラテス式問答」は意味をなしません。カウンセリングを求めているというよりも、解決策を求めているからです。
子育ての予言
現代は、子育てに深い悩みを持つ保護者が多いです。さまざまな子育てマニュアルがネットを中心にあふれ、保護者の周囲にいる家族や友人なども多彩な子育て論を展開するからです。ひどい場合には、そうしたものが夫婦の間に割り込んでしまい、離婚の危機にひんすることもあります。
そんなさまざまな混乱から、その親子を救うためには、想定できる保護者の苦労とその解決法を予め、タイミングをつかみながら「予言」しておくことが、一つの手段なのです。自分の経験を中心にタイミングを見て、情報提供していくのです。
「もう少しすると、いろいろ欲が出てきてお母さんの言うことにそっぽを向いたりするようになりますよ。それは、お子さんの中に自立心が出てきた証拠です。寂しいかもしれませんけどね。そういう時には、捕まえてくすぐったり、スキンシップをしたりしてあげるといいですよ」
このような感じで、予め保護者が不安に陥りそうなポイントを「予言」しておくのです。これなら、個別にしなくても、クラス便りなどで伝えることができます。また、子育て経験のある保育者だったら、「うちもそうでした。でも、2週間もすると落ち着きますよ」などと、期間を明示してあげることも保護者にとっては力強く感じるものです。
保育施設が保護者との間に共通の子育て理念を打ち立てていくことは、卒園までの期間を有意義なものにします。また、そうやって育った保護者は、後輩保護者に対しても同じようにアドバイスができるようになります。(続く)
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