万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。・・・万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。御手が伸ばされた。だれがそれを戻しえよう」(イザヤ14:24、27)
古代ユダヤ人が日本にやってきて日本人に影響を及ぼしたかもしれないなどという話をしますと、とんでもないことだと一蹴する人がいます。日本とイスラエルはとてつもなく距離が離れていて、交通の発達していない古代社会で出会うなどということはあり得ないというのです。しかし、人類が2本の足で歩いておれば、いつかは地の果てにたどり着くこともあります。海流に乗り、風の流れに身を任せると、いつしか船は大海原を横断することもあるのです。
一昔前は、歴史は文章の裏付けがあって初めて正当化されていました。文字の裏付けのない文明は、公然と否定されていました。しかし最近では、文字だけではなく、遺跡や遺物などから事象を読み取り、歴史を解明しようとする歴史学が注目されています。
世界に存在している遺跡や痕跡をたどり、パズルの破片を集めて組み立てていくように、点と点をつなぎながら推理を働かせると、大変興味深い構図が見えてくるようでわくわくしてしまうのは私だけなのでしょうか。世界の歴史上の重大な出来事やユダヤの歴史を見て示されているのは、私たちにとって危機とか試練と思える出来事は、新しい世界を開く幕開けになっているということです。
聖書に示されている危機は、アッシリア捕囚、バビロニア捕囚、エルサレム陥落なのではないかと思います。アッシリアとバビロニアに攻め込まれたことは悲劇ですが、ユダヤ人の霊性の覚醒と信仰の純化につながり、ユダヤ文化拡散の契機にもなりました。ローマ軍の侵攻によりイスラエルは滅亡しますが、キリスト教が世界に迅速に伝わる機会になりました。
日本の縄文文明は世界最古といわれており、1万6500年前の土器も発見されています。また鹿児島県の種子島では、3万年前の磨製石器も見つかっています。この縄文文明は1万年続いたといわれているのですが、実は途中で中断する期間があります。
今から7300年前、鹿児島県の薩摩半島から50キロ南の大隅海峡で、海底火山の鬼界カルデラ破局噴火が起こり、北海道を除く日本列島全域が影響を受けます。特に、西日本は壊滅的な被害を受けます。南九州は600から900年間、照葉樹林が回復しなかったといわれるほどひどい状態でした。この間、縄文人たちは日本列島で生活できなかったので、世界各地に拡散したのではないかと推測されます。
縄文人は優れた航海術を持っていて、海のかなたまで到達していたのではないかという痕跡があります。米オレゴン州の洞窟では、1万4500年前のものと思われる縄文人の遺物が発見されています。乾燥地帯であるため、洞窟という特殊な条件下で糞が化石化し、DNA鑑定により、縄文人に極めて近いという判定が出ています。また、同じ時期のわらじも発見されています。西海岸で9千年前の人骨が発見されて、DNA鑑定で縄文人と分かりました。南アメリカでは縄文土器が発見されて、縄文人が訪れていた証拠とされています。
鹿児島県の霧島市国分に上野原という縄文遺跡があります。7500年前の土器や住居跡が発掘されるのですが、遺骨が出てこないのです。酸性の火山灰の影響で溶けてしまったのではないかという専門家もいるようですが、私は全員逃げ出すことができたから遺骨が残っていないのではないかと思っています。
中国大陸、南洋の島々やインドネシアなどに縄文土器が残されていて、避難していた痕跡が見られます。私は南米や中東にも大海を渡っていった人々がいたのではないかと勝手に推測しています。「そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した」(創世記11:2)とあります。私の解釈では「東のほう」とは日本のことであり、「シヌアル」とは「シュメール」のことではないかと思います。
「神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった」(創世記6:4)。このネフィリムは高度な技術を持っていたのではないかと推測できます。この技術が東のほうから来た人に受け継がれて、シュメール文明が生まれたのではないかと思います。
シュメール文明は後にエジプト、バビロニア、ギリシャに多大な影響をもたらしたのではないかと推測しています。このシュメール文明が周辺の武装国家の影響を受けて崩壊するときに、シュメール人であったアブラハムの父、テラはカランに移り住みます。さらにこの地でアブラハムは神に召し出されて、約束の地カナンに向かいます。これがユダヤ人誕生の始まりです。
また、シュメールにいた一部の人は東のほうの国を目指しますが、日本に帰還する縄文人の子孫なのではないかと思います。日本各地に岩文字と呼ばれるシュメール文字が残されていますが、帰還した縄文人の子孫が残したものと思えば納得できます。縄文人は火山噴火のために日本を離れましたが、針葉樹林が回復する頃に新しい技術を携えて帰還してきました。
縄文人がシュメール人となり、そのシュメール人の一部がユダヤ人となり、そのユダヤ人が危機の中で東のほうの国を目指しても不思議ではありません。まず、アッシリア捕囚の時にイスラエル10部族が東のほうの国を目指します。また、バビロニア捕囚の時にはユダヤの2部族の一部もやってきたのではないかと思います。
そして、エルサレム陥落の時にやってくる人々は、中東の技術だけではなく、大陸の技術と文化をもたらします。養蚕や織物、治水、石工、酒造の技術も日本に持ってきています。日本列島にはもともと馬はいなかったのですが、ユダヤ人がつれてきたといわれます。古墳から、馬に乗ったユダヤ人とみられる埴輪(はにわ)が発掘されています。
私たちを襲う危機は、大きな歴史の流れの中で見るなら決してピンチではなく、新しい世界を開くための旅立ちの時ということができます。古代日本がユダヤの影響を受けていたら、どうしてユダヤ教やキリスト教が開花しなかったのかという疑問が出てきます。それは何らかの意図があって隠されていたということになります。神の歴史は何千年という悠久の中で動いています。現実の姿ではなく、目を上げて将来を見ることが求められています。
日本人に委ねられている使命はとても大きいと思います。これから世界に出て働くために、霊的な備えが必要です。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)
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