人生の成功の基準は「何を成し遂げたか」で計られます。でも「どんな親友をつくったか」の方が、もっと大切な基準ではないかと思います。人生に成功できたとしても、その喜びを分かち合う友達がいなければ、寂しいものです。悲しみや痛みを分かち合う友がいなければ、孤独です。
友達の中には、学生時代の同級生とか、友情でつながっている関係もありますが、会社の同僚とか、仕事の取引先とか、利害関係でつながっている関係もあります。「金の切れ目が縁の切れ目」。お金を通してつながっている友達は、金銭のトラブルであっけなく切れてしまいます。
「遠い親戚より近くの他人」。困ったときは、遠い親戚よりも近くの他人の方が頼りになります。血縁関係もそんなに当てになりません。
「美人は3日で飽きる」。本来一生涯続くはずの夫婦関係なのに、簡単に離婚するカップルが増えています。日本の離婚率は3組に1組だそうです。聖書は、2人は心も体も一つであると語りますが、そんな一心同体の夫婦の約30パーセントが別れるなんて、もろいものです。
そう考えると「親友をつくることがどれだけ難しいか」を痛感します。親友の定義は「どんなときにも互いに味方であり、一生涯続く人間関係」といえます。
私には親友がいますが「いました」という過去形の親友もいます。親友の関係が壊れたのは、決定的な裏切りがあったことが原因です。私に対して裏切りをした元親友は、心で裏切り、行為で裏切った時点で、すでに親友の関係にヒビが入っていました。彼はそれをひた隠しにしていましたが、ある日分かったときには、親友関係は自然消滅してしまいました。
「親しき仲にも礼儀あり」といいますが「親しいからこそ、もっと礼儀を大切にしなければならない」と思います。非礼行為、これは友達関係を崩します。裏切り行為は論外ですよね。
さらに、親友をつくるために必要なことは、「ゴールデンルール」と「新しい戒め」に生きることだと思います。ゴールデンルールは「自分がしてもらってうれしいことを相手にする」ことです。新しい戒めは「キリストが私たちを愛してくださったように、互いに愛し合う」ことです。
この「ゴールデンルール」と「新しい戒め」に生きた人は、イエス・キリストです。人は、どんなにそれに近づこうとしても足元に及びません。
しかし、ちょっと考えてみてください。もし、完全ではなくても「ゴールデンルール」と「新しい戒め」に近い親切と愛を与える人がいたとしたら、親友になりたいと思うものではないでしょうか。
また親友とは、互いの利益を求めることは大切ですが、相手を利用することは避けるべきです。仮に、相手から恩恵を受けたとしても、それ同等のお返しも必要だろうと思います。それは、必ずしもお金で返す必要はありません。
「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)と聖書に書かれています。多くの人は「人に与えるよりも、人から受ける方が幸いだ」と考えます。でも、それを乗り越えるところから、親友はつくられます。
だから、親友をつくることは簡単ではありません。ケチで、自己中心で、利己的な人には、なかなか親友はできません。「付き合うことで利益がある」と思うときにはニコニコして近づいてきても、あなたから利益を得られなくなると、さーっと離れていってしまいます。
私は「人生において、親友を3人つくれたら、その人生は成功だ」と思います。それが、人間としての魅力の証明であり、人間力の強さの証明であり、親切で思いやりのある人であることの証明です。
あなたには、親友がいますか。もし仮に親友がいなかったとしても、心配無用です。最高に素晴らしい親友を紹介します。
「いつくしみ深き 友なるイエスは
罪咎(つみとが)憂いを 取り去り給う
心の嘆きを 包まず述べて
などかは下ろさぬ 負える重荷を
いつくしみ深き 友なるイエスは
我らの弱きを 知りて憐れむ
悩み悲しみに 沈めるときも
祈りに応えて 慰め給わん
いつくしみ深き 友なるイエスは
変わらぬ愛もて 導き給う
世の友我らを 捨て去るときも
祈りに応えて 労(いたわ)り給わん」(『讃美歌』312番「いつくしみ深き」)
この方が、最高の親友となってくださいます。一人が親友ならば十分です。この方と親友関係を結んだ人は、この親友からの愛により、自分自身を愛することができるようになり、自分を大切にできるようになります。
自分を愛し、大切にした分だけ他者を愛し、大切にできるようになりますので、他の親友は自然にできてきます。時間がかかるかもしれません。しかし、あせらないでください。親友は、そう簡単にできるものではありません。でも、いったん親友になったら、そう簡単に関係が壊れることはありません。数の多さではなく、その質の深さが大切です。
親友がいたら、人生は何百倍にも豊かになります。どうぞ、そんな親友を見つけてください。
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