【CJC=東京】カトリック教会(天主公教会)香港大司教の陳日君枢機卿が、中国本土の司教に、妥協策を永久に続けることはできない、として教会のために責任を勇敢に果たすよう呼びかけた。これは教区機関紙「公教報」1月4日号に「聖ステパノ殉教の示唆」との標題で掲載された。UCAN通信によってその間の事情を紹介する。
陳氏は12月24日、現地メディアに、自分の引退要請を日付は確定していないが、教皇ベネディクト十六世が09年前半中にも受け入れることを明らかにし、今後は中国の教会のために全力を捧げる決意を述べた。
陳氏は、本土の司教への呼び掛けの中で、06年以来の事態を分析、「中華人民共和国の兄弟」に「恐れるな。歴史が課した責任を負いなさい。この危機にあって、教会を復活させられず、長い間、衰えさせた。あなたがたは歴史に責任があり、神の裁きの前に汚点なしにしっかりと立つ心構えをしなければならない」と呼びかけた。
中国のカトリック教会を指導する最高組織「中国天主教司教団」(BCCCC)と「中国天主教愛国会」(CCPA)の全国規模の会議が今年行われると見られるが、そこでの議長選挙に、バチカン(ローマ教皇庁)の同意も得られた政府公認教会の司教の参加も予想されることを意識したもの。
天主教愛国会の第6回(1998年)と第7回(2004年)大会で選出された北京のマイケル・傅鉄山司教は98年から07年の死去まで愛国会のトップだった。南京のジョセフ・劉元仁司教は98年から05年の死去まで中国天主教司教団の主席を務めた。2人ともバチカンの認知を得られなかった。このポストはその後空席のまま。
公認教会は07年に「愛国会」50周年を、08年には司教の「自選自叙」を祝っている。
中国の教会は1958年にバチカンの承認なしに司祭の叙階を始め、それ以来「自選自叙」の司教が170人誕生している。
07年6月30日に公表された、教皇の中国カトリック者宛て書簡は、カトリック教会の原則を述べ、司牧指針を示したもの。
陳枢機卿は、本土の司教に聖ステパノの例に倣うよう勧め、立場を明らかにすることで「全てを失う」ことにはならない、と断言した。陳枢機卿は、ある人が「地下」聖職者に妥協が賢明なこと、なぜなら「私たちは教皇ともつながりがあり、政府にも認められているので、カトリック者への対応も出来る」と語ったことを紹介した。「それに引き換え、あなたは投獄されることを選び、命を犠牲にし、あなたの信者たちは誰からも世話をされなくなる」と語ったと言う。
しかし枢機卿は「妥協は妥協だ。それを何時までも続けることは出来ない」と警告、「福音のために、信仰という真理を永遠に断念するべきではない」と強調した。
バチカンが同意した公認教会の司教10人以上が06年に、バチカンの同意なしに行われた司教3人の叙階に参加したことは遺憾だ、と枢機卿は言う。
バチカンが中国の教会事情に関する会議を開催、教皇が中国のカトリック者に書簡を送るという「僅かばかりの希望」が2007年には見られたが、ただ全員が教皇書簡の内容を理解すべきだった、と枢機卿は指摘する。そうでなかったからこそ08年12月の「自選自叙」司教の式典に参加したことに「当惑を覚える」のだと言う。
枢機卿は、司教が教皇の教えの下に立つことを勧める別の書簡をバチカンが送った、と付け加えた。国務長官タルチシオ・ベルトーネ枢機卿が署名した08年4月22日付けの書簡は、中国本土の、バチカンが任命に同意した全司教に宛てたもの。