あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(創世記12:1〜3)
アブラハムは世界の宗教の基であります。アブラハムはユダヤ教を立ち上げ、モーセは確立しました。ある時、仏教の僧侶が私に言いました。「世界の宗教はモーセの十戒を基本にしています。十戒に外れるなら宗教とは呼べません」。また、ある神道の専門家は「日本の神道は古来、自然崇拝が基本であった。今日のような体系になったのは、渡来人の影響によります」と断言しました。
世界の宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教が基本になっています。キリスト教とユダヤ教は旧約聖書に影響を受けていますが、仏教はインドで独自に成立したものであると思われていました。しかし、最近の研究では釈迦の側近にユダヤ人が混じっていたのは間違いないといわれています。
釈迦の生まれる400年以上前からインドとイスラエルは交易をしていました。特にソロモン王の時代には大規模な交易が行われ、アカバ湾から100艘の大船団が出航していったといわれます。ユダヤ人商人の中にはインドに根付く人もいて、中には荘園を所有し、マハラジャと呼ばれる人もいたようです。その荘園の一つが釈迦の出生地です。釈迦のことを仏陀(ブッダ)と呼びますが、これは現地の言葉で「トーラーに聞け」という意味を持つともいわれます。やはりインドでもモーセ五書、トーラーとの関わりがあったと思っても、おかしくないのかもしれません。
弥生時代から平安時代にかけて、日本列島には多種多様な民族が渡来しています。古代日本は多民族国家だったと言っても過言ではないと思います。その中で中心的な役割を担っていたのが失われた10部族のユダヤ人であり、原始キリスト教徒の一団であったのではないかと私は推察しています。
古代日本に虎の巻と呼ばれるモーセ五書が伝えられたのは間違いないと思うのですが、現物かその名残の発見にはまだ至っていません。しかし、日本文化の中にその痕跡を見ることができます。その一つが日本昔話です。必ず人々に善悪を教え、正しい行いをすれば報われるという真理の教えになっています。
日本昔話は必ずと言っていいほど「昔、昔、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました」という語り口で始まります。また、桃太郎や金太郎のように、お爺さんとお婆さんに男の子が与えられるという設定になっています。アブラハムは75歳、サラは66歳の時に神の召命を受けました。また、イサクが与えられたのはアブラハムが100歳、サラが91歳の時でした。トーラーの中に出てくる主役はお爺さんとお婆さんなのです。
私は桃太郎の昔話を聞いたとき、なぜ川に流れてきた桃をお婆さんが拾って、その桃の中から男の子の赤ちゃんが出てきたという設定になっているのか不思議に思いました。しかし、出エジプト記のモーセ誕生の話を読むと、つながったように思いました。ヘブル人の男の赤ちゃんは殺せという命令が出たとき、モーセの両親は隠しました。しかし、隠し切れなくなって川に流すことにしました。大きなナイル川では波も起こります。籠がひっくり返ったら赤ちゃんが死んでしまいます。ですから、ふたをしてアスファルトと樹脂で防水加工をして水に流したのではないかと思います。赤ちゃんの泣き声に気付いた水浴び中の王女様に拾われて、モーセの物語が始まります。ふた付きの籠を図に書いてもらった古代の日本人には大きな桃に見えたのかもしれないというのは私の妄想です。
日本の古代社会では、渡来人を出身地や人種で差別することなく、日本社会に溶け込もうとする意志があれば受け入れる寛容な共同体だったのではないかと推察します。多様な民族を一つにまとめるために精神論として古事記が、理論的な教えとして日本書紀が用いられたのではないでしょうか。古事記にはトーラーの影響が色濃く出ていると思います。
私が誕生するためには父親と母親が必要です。その両親が生まれるためにも父親と母親が必要ですので、4人の人が必要です。祖父母のためには8人必要です。このように先祖をたどっていくとかなりの数になります。700年さかのぼると1億人を超えるといわれます。700年前には1億人の人口なんてありませんから、幾重にも重複していることになります。これを2千年前までさかのぼれば、日本列島に生まれただけでほとんど全員つながることになります。日本人はアブラハムの子孫と言っても間違いではないと思います。
創世記12章で「アブラハムを通してすべての民族が祝福される」と約束されています。南米のペルーで古代インカ文明の金属板が発掘されましたが、文字らしきものが刻まれていました。解読してみると、トーラーの言葉の一部らしいということが分かったそうです。世界各地にトーラーの言葉が届き、アブラハムの祝福が及んでいたことが分かります。やがて時が来れば、覆われていたものが取れて、神の恵みと祝福が明らかになり、全地に神の栄光が示されます。
それゆえ神は、この方(キリスト)を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2:9〜11)
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