私たちは、さまざまな願いを持ちながら生きているのではないでしょうか?
「成功したい!」
「お金持ちになりたい!」
「やせたい!」
「ステキな人と結婚したい!」
「人間関係を良くしたい!」など。
「何でも願うなら実現する!」という言葉を聞いたことがあります。それは本当であり、またうそでもあります。その願いが本当であるかどうかが鍵になります。
「みんな持ってるから、とりあえず私も持ちたい」
「みんなそうなりたいと言ってるから、私もそうなったらいいな」
周りの人の意見に流され影響された願望、状況に左右されて妥協した夢は真の願いでしょうか? いくらそれが今の流行だとしても、心から願っていないとしたら潜在意識は興味を持ちません。人は神によって創造された作品です。しかも、永遠に神と共に生きるように計画され、設計されました。真の私の願いと神の願いは一致するものなのです。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネ15:7)
イエス様にとどまり、イエス様の言葉が私にとどまるなら、イエス様と同じ願いを持つようになります。その願いは神の御心であり、神がかなえたい、神が与えたいものです。故に、神はその願いに答え、かなえてくださるのです。流行だから、みんな持っているからという理由で持つ何となくの夢、とりあえずの願いは、本当の私やあなたの願いではないのです。
目には見えませんが、聖書が語る神を認め、信じ、その方を心に受け入れ、その方と交わり生きるなら、「朱に交われば赤くなる」といわれるように「神と交われば神と一つになり、神と一致し、神に似ていく」のです。その時、あなたは心の底からの願いと夢を持ち、神と共にその方向に向かい、神によって実現していただけるのです。
神は、認識しようがしまいが、信じようが信じまいが、目に見えず、耳で聞こえず、手で触れなくて、私やあなた以上に、あるいはこの世に存在するあらゆる物質よりもはるかに確かなお方です。身の回りのどんな物でも、偶然に存在しているものはないように、あなたは偶然に存在しているのではなく、神があなたを造られたのです。そのお方をないがしろにして生きることを、罪であると聖書は教えます。
罪の反対、罪の対極は、悔い改めて神に立ち返り、神と共に生きていくことです。その時、本物の願いと夢を知り、それらが実現する人生を生きられるようになるのです。願いがかなうのは本当です。
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