前ローマ教皇の故ヨハネ・パウロ2世が1981年に起こった暗殺未遂事件の翌年にも、神父からナイフで切りつけられ負傷していたことが15日、明らかになった。ロイター通信が伝えた。
前教皇は1981年5月、バチカンのサンピエトロ広場でトルコ人に銃撃され、重傷を負ったが一命を取りとめた。同通信によると、事件から1年後の82年5月、前教皇は生き延びたことへの感謝を神に伝えるため、聖母マリア出現の奇跡が起こったとされるポルトガルのファティマを訪問したが、その際、スペイン人神父にナイフで切りつけられたという。
犯行に及んだ神父はローマ教皇庁内の保守派だったとされるが、動機は不明。事件による前教皇の怪我は軽かったため、これまで公表されていなかったが今回、前教皇の側近を長年務めたジウィシュ枢機卿が前教皇を偲ぶドキュメンタリー映画の中で初めて明らかにした。
一方、前教皇を暗殺しようとしたトルコ人のメフメト・アリ・アジャは、現場ですぐに群集によって取り押さえられ、終身刑となる。前教皇は事件後、「私が許した、私の兄弟(アジャ)のために祈ってください」などと語り、1983年には刑務所でアジャと面会。「私は彼を許し、完全に信頼できる兄弟として話しました」などと語った。2000年に前教皇の恩赦により釈放されトルコに送還されるが、暗殺未遂事件前にトルコで25年の実刑判決を受けていてため、現在も服役している。
第264代ローマ教皇として、1978年から2005年までの約26年間在任した故ヨハネ・パウロ2世は、世界平和と戦争反対を広く訴え、宗教の枠を超えて全世界の人々に多大な影響を与えた。特に宗教間対話では、他宗教との対話促進を積極的に進め評価が高い。葬儀には約30万人が参列、サン・ピエトロ広場に入りきれなかった人々も約200万人おり、参加人数において史上最大規模のものとなった。