シンポジウム「現代の社会と宗教1995~2017」(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院主催)が16日、同大レクチャーシアター(東京都目黒区)で開催された。パネリストは全員、同院教授である池上彰氏(ジャーナリスト)、弓山達也氏(宗教学者)、中島岳志氏(政治学者)、上田紀行氏(同院院長、文化人類学者)。それぞれの視点から、「宗教」をカギに混迷する現代社会の問題を解明し、議論を交わした。司会は、大正大学客員教授で『宗教と現代がわかる本』編集長の渡邊直樹氏。定員をはるかに上回る650人が集まった。
同院は、理工系の知識を社会へつなぐ知性と人間性を養うため、5年前に開設された。「科学技術という大きな力を手にすることは、人間にとって何がよいことで、どういう時に人間性を失わせるのか、深い洞察力をもって臨まなければならない」と上田氏は話す。そのため、教員を採用する時も「人間精神の深み」について語れる人を迎えているという。また、宗教をテーマにシンポジウムを開いたことについては次のように説明した。
「宗教が日本で大きな力を持ちつつも、その論理が整理されていない。多くの日本人が『宗教を信じていないので、自分は無宗教だ』と言う一方、神と名の付くものを恐れている。政治の世界でも、国会議員の3分の1が神道政治連盟に加入している。このように宗教は、日常生活だけでなく、政治の世界でも大きな力を持っている。この点について東工大から問題提起していきたい」
シンポジウムの中では、特に現代における「生きづらさ」に注目が集まった。
中島氏は、現代の政治における右派的現象の発端を1995年に見る。90年代前半から「生きている実感がわかない(生の浮遊)」といった「生きづらさ」を抱えた日本人が、95年の阪神大震災によって「どうこの生を支えたらいいのか」という宗教的課題に出会った時、突き付けられたのが、同年の地下鉄サリン事件、オウム真理教問題だ。そして、この現実に失望し、言葉を失った先に、代替する物語として出てきたのが、現代の政治における右派的現象ではないかという。
自ら中東を取材した経験を持ち、イスラム教に関する著書も多い池上氏は、この「生きづらさ」について次のように語った。
「イスラム国(IS)に集まる若者たちもそれぞれ『生きづらさ』を感じてやって来ている。キリスト教世界で差別を受け、『自爆テロをすれば天国に行ける』というジハードの教えのもとでは、自爆テロをする時にだけ生の実感が得られると考えているのではないか」
そう述べて、自殺願望のある者をISに送る働きがあることを明かした。
新宗教やカルト問題、スピリチュアリティーに関わる諸分野を研究する弓山氏は、「生きづらさ」は新宗教やカルトを研究する時のキーワードになると話す。人々が宗教に向かう理由は「貧・病・相(人間関係)」というのが以前は一般的だったが、オウム真理教の場合はそれが「むなしい」「意味がない」だったという。
「それらに対する十分な処方がないまま世紀をまたぎ、今はそういった人たちが向かう先がボランティアになっているのではないか」
その現象は、「ボランティア元年」と言われた阪神淡路大震災の時から見られ、当時、「生きづらさ」を覚える人の向かう先はカルトとボランティアに二分化されていた。それが現在では、ボランティアや社会参加をすることで「自分の人生を他人のために使う」というのが、「生きづらさ」を感じる人々の向かう道筋になっているのではないかと指摘する。「それを意味あるものにするためにはまだ課題がある。今後どうしたらいいのか、若者と共に教育者や学校も考えていく必要がある」
上田氏は、宗教を語る上で問題となる超越性にも触れた。
「宗教とは、超越的なものへの信仰だ。毎日同じことを繰り返す中で、『何か超越的な意味がほしい』、『この一瞬のために自分は生きてきた』という思いを誰もが持ちたいと考える。その時に、自爆テロしか方法が残されていない社会にしていいのだろうか。外からの力で超越性を手に入れるのではなく、超越性を作り上げていく意味を徹底的に考える人になってほしい。そのためにも『志』を持つことが大切だ」
また、ダライ・ラマと対談した中で次のことを教えられたという。
「仏教には『悪意の怒り』と『慈悲の怒り』があり、苦しんでいる人があれば、憤って当然。ただ、因果応報の法則から言うと、全く無関係の原因から結果が生じることはないので、なぜテロリストが生まれたのかを考えるとき、そのテロリスト1人を責めるのは仏教的ではない」
池上氏もダライ・ラマを取材した体験を持つ。その時ラマは、チベットの自治を認めようとしない中国共産党に対して慈悲を掛けていたが、そうすることによって心の平安が得られることに気付かされたという。また、ラマのこんな言葉も紹介した。
「苦しみの中にあるチベットではあるが、それによってチベットが世界に開かれた。人々にチベット仏教を伝えていきながら、何とか平和をもたらしたい。よい種をまいていけば、必ずよい花を咲かせられると信じている。自分が生きているうちにその花を見ることはできないかもしれないが、必ずよい花が咲くことを信じて種をまき続ける。この幸せで100パーセント幸福感を得られる」
シンポジウムに参加した40代の女性は、「人間は良心がないと暴走し、他者を傷つけてしまうと思う。本来、宗教は良心を目覚めさせるものであることを、今日の話で確認できた」と感想を語った。