聖書の誤訳のあるものは、語義の時代による変化によって生じます。テサロニケ人への第一の手紙4章15節で「生きながらえて主の来臨の時まで残る私たちは、眠った人々を妨げることは、決してないであろう」(英語ジェームズ王訳では prevent ──妨げる、英語改訂標準訳では precede ──先立つ)と書かれていますが、「妨げる」というと、何かに干渉する特別の教理でもひそんでいるのかと思わされます。
けれども、この prevent(1)(妨げる)という語は、ここでは大変古めかしい意味で使われており、ラテン語の原義、すなわち「先にくる」を表しております。ここのところは「眠った人々より先になることは、決してないであろう」と訳すべきです。
英訳のテサロニケ人への第二の手紙2章7節で、私たちは、he who now letteth will let, until he be taken out of the way という妙な文に出会います(逐語的には「今許している者は取り除かれるまではこれからも許す」となる)。この節には、法律語の let or hindrance「故障も障害も」や、テニス用語の a let ball「ネット・ボール」だけでお目にかかる古英語の let が含まれています(ところがたいていの人は、テニス用語としてはふだん net ball を用い、let ball は使いません)。
この古語 let(2)は「妨げる」または「阻む」を意味していたのです。だから let ball はテニスでネットにひっかかったボールのことですが、球がいつもネットによって妨げられるところから、私たちはたいてい、「ネット・ボール」と言っております。ところが、テサロニケ人への第二の手紙2章7節では、let は依然として「いま妨害し、阻止している者は、この世から取り除かれるまで、妨害し、または阻止し続ける」という意味で使われているのです(「今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです」新共同訳)。
ジェームズ王訳聖書の誤訳のあるものは、原典の知識が不十分なために起こりました。といって、このことはジェームズ王訳を作った学者たちが、まったく当時の聖書学知識にうとかった、というわけではありません。それ以後何世紀かの間に、私たちが幸いにも、語の意味とある種の文法形態の意義とをさらに多く学び得た、ということにほかなりません。
ジェームズ王訳のヨハネによる福音書20章17節は、「私に触れてはいけない」ですが、もっと正確な翻訳は「私につかまってはいけない」、さらに「私につかまり続けてはいけない」とさえ言えるところです。昔はギリシャ語動詞の異なった時制が、時間だけに関係があると考えられていたのですが(3)、今ではしばしば動作の異った相(aspect)、あるいは種類を区別していることが分かってきました。
この箇所でこのギリシャ語は現在形(現在命令法)ですから、その時行っている動作をやめるべきであることを意味しているのです。もしこの動詞が他の文法形態である不定過去(アオリスト命令法)であったら、この動詞は未来において──すなわちその時にはまだしていなかった──ある行為をしてはならないということになります。
この微妙な区別を知らずに、ジェームズ王訳の翻訳者たちは最善を尽していたわけです。が、彼らの訳は、結局多くの空想的解釈を生み出すことになりました。すなわち解釈していうには、このところでは、イエスはまだ天に帰っておられなかったので、婦人は御身体に触れることができなかったというのです。
ところが、マタイによる福音書28章9節によると、そのわずか数分後には、イエスはエルサレムへの帰途にある女たちにお会いになった、と記されており、ここで女たちがまぎれもなくイエスのみ足に触れたと、ジェームズ王訳聖書には明確に書かれているのですが、そんなに短い間にどうやってイエスは天に行って帰ることができたのでしょうか。
原語の持つ多くの微妙な差異をいちいち訳出するのは困難なことです。けれども、やればできるのに手を省くことは許されません。マタイによる福音書6章で、原語では「心配する、案じる」(ジェームズ王訳では take thought for ──思い煩う)を意味する動詞の2つの形に出会います。
6章25節では、この動詞の形は「心配し続けるのはやめなさい」を意味しています。これは動詞の現在形で、すぐ前のところで話したヨハネによる福音書20章17節に出てきたものと同じ形です。イエスは、弟子たちの必要とするものは天の父が与えてくださるのだ、と激励の説教をされてから、次に違った形の動詞をお使いになって結びとされています。
すなわち、マタイによる福音書6章34節では、この動詞は、「さあ、今後はもう、これらのことを心配するのはやめなさい」という意味を表しています。イエスは信徒たちが、まず今持っている心配をやめるように説きすすめ、彼らが心配をもうやめたものと推定して話を終えられました。だから、二度と再びこれからも心配するなとお諭しになったわけです。
英語の訳にすべてこれらの意味を含めるのは難しく、煩わしい言葉を使ったパラフレーズになってしまうおそれが生じます。ですが、ほかの多くの言語では、これらギリシャ語のひどく意味が違っているものを、そっくりそのまま訳出することもできます。
ジェームズ王訳聖書のある箇所には、原典には見られない差異を示していると思われるふしがあります。マルコによる福音書1章4節に remission of sins(罪の赦[ゆる]し)という句が見られます。ある人は、remission(赦免)なる単語は forgiveness(赦し)とは多少異なった意味で、専門的な神学用語であると考えていました。ところが、ここで remission として訳されている語は、ギリシャ語ではただ普通の forgiveness なのです。そこで、新しい英語訳の多くは、親しみがあり、かつより意味の深い forgiveness という言葉を使用しています。
翻訳者が古風な翻訳に基づく狭い見解しか持たないために、誤訳を犯すことがあります。これらの誤訳の多くは、訳者が他の多くの現代訳を詳細に検討し、また学問的な注解書を精読することによって避けることもできます。が、できれば多少なりとも原語(ヘブライ語、ギリシャ語)の知識を身につけるに越したことはありません。
原語の知識は薄っぺらなものでは困りますし、一見正しいようであるが、頼りにならない語源や、語と語の類推をもとにしたものでも困ります。ある人たちは、ギリシャ語の katabolē がどうしても「建設」とか「設立」(ヨハネ17:24、およびエフェソ1:4)の意味を表すはずがなかろう、と主張していました。そのわけは、この語の構成要素が、kata-「下方へ」と bolē「投げる」を意味しているからだ、というのです。
つまり、この言葉は、「破壊」を意味しているに違いない、というのです。そこで、この人たちはヨハネによる福音書17章24節や、その他の箇所に「天地が造られてこのかた」とあるのを、すべて「天地が破壊されてからこのかた」と訳すべきであると説いています。
こんな考えになるのは、前アダム時代(4)について、気まぐれな考えをすることから生じているのです。が、ギリシャ語の立場からいえば、「破壊」という意味にはまったく正当な理由はありません。語の意味というものは、その構成要素をばらばらにすることで決めるわけにはいきません。もし分解して決められるものなら、英語の名詞、up-set(転倒)や set-up(機構)のように同じ構成要素を持っていながら、まったく異なった事柄を表している語の間に存在する意味の相違を、どう説明できるでしょうか。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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