沖縄県西原町にある築60年余りの民家で昨年末、1人の女性の洗礼式が行われた。洗礼を受けたのは新川ハルさん。今年3月10日に誕生日を迎え、現在は103歳。洗礼を受けたのは102歳9カ月の時だった。ハルさんの三女である新川代利子牧師(ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会)が、献身の際に家族の救いを神に委ねてから、約40年越しの祈りが実現した瞬間だった。
ハルさんは1914(大正3)年、那覇市の北東約10キロに位置する西原町(当時は西原村)のごく平凡な家庭に、2人姉妹の妹として生まれた。同じく西原町出身の新川次郎さんと20歳で結婚。その後すぐに雑貨店を始め、男5人、女3人の子ども8人を養い育てた。クリスチャンではなかったが、子どもたちを幼い頃から教会学校に行かせた。年中無休の店であったため忙しく、次郎さん・ハルさん夫婦が教会に行くことはほとんどなかったが、周囲のクリスチャンの姿を見て、「教会は善い人になるために大切なことを教えてくれる」と強く信じていたという。
イエス様、宜しくお願いします
1995年に次郎さんを天に送ってから、ハルさんは一人暮らしをしていたが、4年前にふとしたことでけがをしてしまった。それ以来、車いすの生活となり、新川牧師の2人の姉が泊まりがけでハルさんの世話をしている。そんな中、1日に2、3度眠ってしまうなど、疲れやすくなったハルさんの姿を見て、2番目の姉が昨年12月半ば、洗礼について尋ねてみた。「お父さんがいる天国に行くために、そろそろ洗礼の準備をしましょうね」。ハルさんの口からは「そうしようか」という答えが返ってきた。姉は早速、東京にいる新川牧師に電話をしたが、新川牧師は義兄の記念会のために帰省する予定で、ちょうど航空券の予約を済ませたばかりのタイミングだったという。
家族の同意も得られ、新年もあと2日と迫った12月30日、赤瓦の典型的な沖縄の民家の客間で、1番上の姉、1番上の兄とその長男夫婦、長男夫婦の娘、2番目の姉夫婦、親戚の女性の計8人の立ち会いのもと、洗礼式が行われた。新川牧師が副牧師として奉仕する淀橋教会から持参した洗礼盤を使い、水は94年に2番目の姉夫婦がヨルダン川で洗礼を受けた際、持ち帰って冷凍保存していたものを用いた。これは、次郎さんが95年に肺がんで召されるとき 、洗礼で使った水でもある。
すでにイエス・キリストを心で信じていたハルさんだったが、「仏壇や位牌のことなど、気になっていたことを一切神様に委ねたのでしょう」と新川牧師。「『イエス様、宜しくお願いします』との思いを祈りの姿勢に表して受洗した母を見て、心から主をあがめました」と言う。
「両親を捨てるのではなく、私の手に委ねよ」
新川牧師の小さな頃からの夢は、アフリカでの医療伝道に生涯をささげたアルベルト・シュヴァイツァーのような医療従事者になることだった。しかし、転機は76年、箱根で行われたケズィック・コンベンションに初めて参加した時に訪れる。開会前、エレベーターで出会った外国の老紳士の姿に、何とも表現しがたい静かな輝きを見て、「イエス様が地上に来られたら、きっとこのような姿に違いない」と感じた。そして間もなく始まった開会礼拝。講壇にその老紳士、講師の1人であった故ポーロ・リース博士が立っていたのだ。
ケズィックの「聖潔(きよめ)」のメッセージに触れた新川牧師の変化は、周囲にも明らかだった。3回目の参加となった78年のケズィックで献身を決意。その時、「シュヴァイツァーのように」という夢を捨てる覚悟はできていたが、最後の壁は「両親の救いのためにそばにいてあげなければ」という思いだった。伝道者への召命に応えることは、自分の夢をいつも応援し、苦労して大学まで行かせてくれた両親を裏切ることになると感じた。
「しかし、神様は『両親を捨てるのではなく、私の手に委ねよ』とおっしゃったのです」。そのメッセージが語られた夜は雹(ひょう)が降り、会場は大きな音が響いていた。「御子をさえ惜しまず十字架に送られた神様の大きな愛と、期待を寄せて待っている肉親の愛の板挟みになって苦しんでいる私に対して、それは天からの激しい迫りのようでした」。家族の救いを含め、すべてを神の手に委ねたとき、当時大学4年生だった新川牧師の心には、大きな平安が満ちた。それ以来、家族の救いを約束した聖書の言葉への確信は揺らぐことがないという。
父の救い
伝道者への道を決めた当時、両親は猛烈に反対した。しかし、「自分で選んだ道だから行かせよう」とついに黙認してくれ、献身を決めてから約1カ月後、新川牧師は東京聖書学校に入学する。卒業後は5年間、淀橋教会で伝道師として奉仕し、米国留学を経て、90年にはワールド・ビジョン・ジャパンの最初の海外駐在員としてバングラデシュに赴任した。こうした過程で、特に反対していた次郎さんの心も和らいで行った。「全く思いがけない方法で、神様が一歩一歩父の心を導いてくださったのです」
バングラデシュでの約5年の奉仕を終えて帰国した後、新川牧師は2度目の留学として米国のフラー神学校へ進む。その時、次郎さんはすでに肺がんを患っていたが、新川牧師には知らせずに笑顔で見送ってくれたという。沖縄の教会の人たちが見舞い、沖縄を訪れた淀橋教会の峯野龍弘牧師とは洗礼の約束もしていたが、容体が急変したため、2番目の姉の手で洗礼を受け、天へ召されていった。新川牧師は3日後に帰国し、その日曜日に教会の人々と共に記念会を持ったという。
イエスを信じれば、あなたも家族も救われる
日曜学校の時代から、いつも聖書の言葉に固く立つように教えられてきたという新川牧師。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒16:31)の言葉は、家族の救いに対する確信だ。子ども伝道の訓練会で明確な救いを経験し、まず自身が洗礼を受けてから、2番目の姉と義兄、父、1番目の姉、そして母と、確かに家族の救いが実現している。
一方、帰省のたびに家族と祈る時は持つというが、特に教会に行くよう勧めたりはしていないという。欠かさず続けているのは、神の時が満ちることを待ち望みつつ、誕生日や結婚記念日、クリスマスなどに合わせ、家族や親戚に祈りを込めた小さなカードを送ること。両親の洗礼で使ったヨルダン川の水はまだ残りがある。「これからも楽しみです。母も家族もそれを喜んでいます」と話す新川牧師の言葉には、すべてを委ねた神への確かな信頼が込められている。