初めに、神が天と地を創造した。 (創世記1:1)
聖書の開幕、第一ページの最初のことばは、「初めに、神が天と地を創造した」です。
このことばは、聖書全体を理解するために、とても重要です。まあ、聖書全体の「鍵」と言っても過言ではないでしょう。
それはまず第一に、「キリスト教は神中心の教えである」ことを示します。
ここで言う神とは、「唯一、まことの神」のことです。太陽が一つしかないように、この世界には、まことの神はただお一人しかいないと、聖書は告げているのです。唯一であるということは、絶対に他に比べられるものはないということです。
しかも、この唯一、まことの神は、「生きている神」です。人格をもったお方なのです。
聖書は、この唯一なる神が初めに、天と地を、つまりこの宇宙を、この世界を創造したと宣言しています。
神は世界を造られたのであって、決して世界の一部ではありません。ちょうど、画家とその描いた絵とが別個のものであるように、農夫とその耕す畑が別個のものであるように、神は生きている「造り主」であって、全宇宙も全人類も、神によって造られた被造物にすぎません。
だから、生きているまことの神以外のものを拝むことは、愚かなことなのです。太陽も月も星も人も草も木も動物も、生けるまことの神によって造られたものです。造り主こそ、賛美と礼拝を受けるにふさわしいお方なのです。
神は生きた人格ですから、すべての人間は、神と人格的かかわり合いをもっています。たとえあなたがまことの神を知らなくても、神はあなたの創造者であり、主なのです。あなたは神のものですから、神はあなたを愛しておられます。
あなたがこの世に生を受けた目的は、神を喜ばせ、神の栄光を現すことであって、神を中心として日々の生活をすることです。そうしてこそ初めて、真の意味での充実した豊かな生涯を全うすることができるのです。
先日、デパートに行った時のことです。小さな男の子が私の手を握り、「お父ちゃん」と言いました。私は子どもを連れていなかったので、びっくりしてその子を見ました。その子は私よりももっとびっくりして、泣きそうな顔になりました。でも近くに本当のお父さんがいて、すぐその子の手を取ったので、本当にうれしそうな顔に戻りました。私たち人間の姿を見たような気がしました。
昔、アウグスチヌスという有名な神学者は、「人間は神によって造られた者であるから、神の懐に帰るまでは、本当の平安はない」と言いました。生けるまことの神との間が正常であれば、不安や恐れは消えて、平安と喜びが与えられます。
まことの生ける神に背を向けてどんなに懸命に生きても、まことの神以外のものにどんなに祈っても、決して平安はもてず、ただイライラとして毎日を過ごすだけなのです。まことの神の愛の懐に立ち返るなら、その瞬間から、本当の平安と満足が与えられます。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネ3:16)
神はあなたの帰るのを待っておられます。今日から生けるまことの神を信じる生活を始めようではありませんか。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。