その種族の中に、宣教師の知っている外国語を話せる者がいれば、彼らの言語に通じることは、それほど大変な仕事ではありません。しかし、単語1つさえ共通なものがないときは、初めの段階が耐えられないほど難しく思えます。
エフライン・アルフォンセが、初めてパナマのバリエンテ人の中で生活しながら働くことになったときには、彼らの言葉を1語も知りませんし、彼らも、アルフォンセの言語など、何1つ知りませんでした。彼は最初、片言でもいいからスペイン語か英語を習った者がいないかと捜してみました。きれいな洋服やぴかぴかしたまがいものの宝石を、椰子の実やバナナと交換しながら、水兵たちが小舟で海岸を巡っていたからです。
しかし、彼が土地の言葉を習うのを助けてくれる者は、1人としていませんでした。1人の小さな男の子が、思わず誘いこまれそうな笑みを満面に浮べて、新しい校長先生(というのは、アルフォンセはバリエンテ人のために、ミッション・スクールを建てようと思って来ていたのです)を助けてあげたくて、うずうずした表情で、泉からきれいな水をひょうたんにいっぱい汲んで持って来ました。そこでアルフォンセは、早速、身振り手振りで片言のスペイン語を使って、その子の名前を聞き出そうとしました。
すると、そのちびさんは「Tikonyaka!」と答えたのです。それからというものアルフォンセは、その子に来てもらいたいときは「ティコニャカ」と呼ぶことにしました。ところが間もなく、皆が笑って同じように彼を「ティコニャカ」と呼んでいることに気が付きました。「ティコニャカ」が実際にどういう意味なのか分かったのは、後になってからでした。
それは実は「私に名前はありません」(名なしの権兵衛)という意味の言葉だったのです。バリエンテ人の間では、小さな子どもには自分の名前がないことがよくあります。ただ男親または女親の名前をあげ、「誰それの子ども」(3)だということになっているのです。
この利口な少年は、アルフォンセの質問を正しく解釈して、最上の返答をしたのでした。しかし、お互いに共通の言語の何もないときには、ただ意味を探ったり単語の使い方を確かめていく試行錯誤法のみが、複雑で奇妙な言語構造に光を当ててくれるのです。
奇妙な母音や子音はやりきれない頭痛の種であり、舌や顎まで痛くなります。特にディンカ語(スーダン・ナイル諸語の1つ)のように14の第1次と第2次母音音素があって、それが皆長いのと短いのとで28となり、それにまた、無気息音と気息音(4)があって58となるのがあります。
ところが、面倒なのはこれだけではありません。抑揚(よくよう)の違いによって語の意味が異なるという仕組みもあるのです。例えば、「ian chi kwincham」の「chi」を中揚音で発音すると「私は何も食べないつもりです」という意味になりますが、同じ句の「chi」を高音で発音すると「もう食べました」(5)ということになります。
音の屈折ともいわれる、これらの音調の違いは、絶えず問題の種になります。メキシコの原住民の言葉の1つであるマサテック語のように、4つの異なった音域があり、ある音域から次の音域に上ったり下ったりする、わたり音(半母音)さえあるのです。
同じように「tho」と書く4つの言葉がありますが、高い音で発音すると「出掛けるつもり」となり、同じ子音と母音をほんの少し低く発音すると「短期間」という意味になります。それよりさらに低く発音すると、最高音域の発音が「出掛ける」の未来形を示しているのに反して、現在形を意味します。4つの音のうち1番低い音で発音されると、この同じ「tho」が「砲弾」となるのです。抑揚を無視したら、どんな言葉も相手に通じません。
<注>
(1)原注。ユージン・ナイダ著『外国語習得法』参照。NCCC(米国キリスト教教会協議会)の海外宣教部から、特に宣教師の助けになるように出版された。
(2)「glimpsed stream」、[glimpststri:m]は[- mpststr-]という7つの子音が続いている。英語では語頭に3つ、語尾に4つの子音が続くことがある。そのような語が続くと、母音と母音の間に7つ子音が続くことがある。
(3)多くの言語で、姓の発生に関してこのような表現がある。Johnson(ジョンの息子)、MacDonald(ドナルドの息子)、Fitzgerald(ジェラルドの息子)、O'Henry(ヘンリーの息子)、バルヨナ(ヨナの息子)、バテシェバ(シェバの娘)等。今でもビン・ラーデン(ラーデンの息子)等が使われる。
(4)原注。「気息音」。母音が発声されるとき、声帯を通して余分の強い気息を伴って発音される。
(5)原注。「もう食べました」。他の語の音調は、それぞれ中、高、中である。
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【書籍紹介】
ユージン・ナイダ著『神声人語―御言葉は異文化を超えて』
訳者:繁尾久・郡司利男 改訂増補者:浜島敏
世界の人里離れた地域で聖書翻訳を行っている宣教師たちと一緒に仕事をすることになって、何百という言語に聖書を翻訳するという素晴らしい側面を学ぶまたとない機会に恵まれました。世界の70カ国を越える国々を訪れ、150語以上の言語についてのさまざまな問題点を教えられました。その間、私たち夫婦はこれらの感動的な仕事の技術的な面や、人の興味をそそるような事柄について、詳細なメモを取りました。
宣教師たちは、未知の言語の文字を作り、文法書や辞書を書き、それらの言語という道具を使って神の言葉のメッセージを伝えるのです。私たちは、この本を準備するに当たって、これらの宣教師の戦略の扉を開くことで、私たちが受けたわくわくするような霊的な恵みを他の人たちにもお分かちしたいという願いを持ちました。本書に上げられているたくさんの資料を提供してくださった多くの宣教師の皆さんに心から感謝いたします。これらの方々は、一緒に仕事をしておられる同労者を除いてはほとんど知られることはないでしょう。また、それらの言語で神の言葉を備え、有効な伝道活動の基礎を作ったことにより、その土地に住む人々に素晴らしい宝を与えられたことになります。その人たちは、彼らの尊い仕事を決して忘れることはないでしょう。
本書は説教やレッスンのための教材として役立つ資料を豊富に備えていますが、その目的で牧師や日曜学校教師だけのために書かれたものではありません。クリスチャン生活のこれまで知らなかった領域を知りたいと思っておられる一般クリスチャンへの入門書ともなっています。読者の便宜に資するために3種類の索引をつけました。①聖句索引、本書に引用されている聖書箇所を聖書の順に並べました、②言語索引、これらのほとんど知られていない言語の地理上の説明も加えました、③総索引、題目と聖書の表現のリストを上げました。
ユージン・ナイダ
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