友人が私を改心させるまでに、長くはかからなかった。私たちは昼食を取りながら、ソーシャルメディア戦略について話し合うことになった。自分たちの家族や職場の様子に触れた後、それは始まった。友人はカバンの中から革とじのケースを取り出し、それをテーブルの上に置いた。彼は人生の転機となる体験と、人生の新しい方向性について話し始めた。
彼が革のケースを開くと、大きなiPad Proが出てきた。その後、友人は留まるところを知らずに語り続けた。画面サイズの制限があることを示した上で、画面上に2つの文書を同時に表示した。彼はアップルペンシルを取り出すと、エバーノートにスラスラと手書きで書き込みをして見せた。そして購読料を払ってでも、パソコン雑誌を読む価値があることを証明した。キーボードとバッテリーが取り外し可能であることも、実践して見せてくれた。
その熱心さには説得力があり、私は人生におけるこれまでの選択を後悔した。このタブレットの傑出した機能は、私がこれまで持っていたものとは比較にならなかった。そのタブレットを無償でもらえるアルファ・コース(キリスト教の入門プログラム)があったなら、私はその場で申し込んでいただろう。
私が目撃したのは、伝道に関する事実だった。技術販売の世界で、「エバンジェリスト」(伝道者)という言葉を使い出したのはアップル社だ。まず初めにソフトウェアの販売で使い、次に技術全般の販売で使い始めた。技術販売の専門家であるガイ・カワサキ氏は、「エバンジェリスト」をキーワードにした職探しの体験談を著書の中で述べている。
「驚いたことに611件も見つかったのですが、教会が出した求人は1件もありませんでした。『伝道者』という職種は、今では世俗のものになっているようです。実際、初めの8件までは、マイクロソフト社によるエバンジェリストの求人でした。検索してみれば分かりますよ」
「エバンジェリスム」(伝道)という言葉は、キリスト教会よりも先に誕生していた。「エバンゲル」(ユワンゲル)は「良い知らせ」を意味していて、その知らせを伝えた伝令係を「エバンジェリスト」(伝道者)と呼んでいた。例えば、古代のギリシャ・ローマ社会で新しいローマ皇帝が即位した場合、それを知らせる伝令係がエバンジェリストだった。
キリスト教会では、この世で最も素晴らしい知らせを表すために、「エバンゲル」(良き知らせ)という言葉を使った。それはイエスの生と死、復活と昇天に関する知らせであり、私たちにとっては罪の赦(ゆる)し、神との和解、来るべき御国の前味を意味する。この「エバンジェリスム」(伝道)という言葉はキリスト教会によって使われるようになり、いわゆる教会用語となった。しかしそれも、今は昔である。ガイ・カワサキ氏の職探しの体験談は、その言葉の使用がマイクロソフト社に引き継がれたことを物語っている。
全米でも屈指のキリスト教出版社であるライフウェイ・クリスチャン・リソーシーズの総責任者トム・レイナー氏は、この現象が起きた経緯を詳細に調べ、米国における「伝道」という言葉の歴史から、次のような結論を導き出している。「時の流れの中で、私たちは伝道に対する関心を着実に失いつつあります。物事への関心を失うということは、それをあまり実行しなくなっているということです」。レイナー氏の分析は100パーセント信頼できるものではないかもしれないが、英国における伝道の実情と重なる面がある。
伝道への気後れ
筆者が英国の教会巡りをして気付いたことは、クリスチャンたちが、自分たちは徐々に少数派になってきていると感じていることだ。そのため、彼らは信仰をオープンにすることをはにかむようになりつつある。ある人たちは、キリスト教に対する世俗の敵意を感じ取っており、信仰を表に出さないほうが無難だと感じている。
この状況を助長しているのが、自身の信仰を表明する選挙立候補者に対するメディアの反応である。ティム・ファーロン氏が英国の自由民主党の党首になったとき、自身の信仰をはじめ、祈りや人間の性についての見解を繰り返し尋ねられた。同じことが、テリーザ・メイ氏とアンドレア・レッドサム氏の保守党党首選でも見られた。
筆者は、企業の管理職の候補者が、面接で自身の信仰や所属教会の信条について尋ねられるという話を聞いたことがある。その場合、(面接官たちは)事前にネット検索した上で尋ねてくるのだそうだ。そのような場に立たされると、あるクリスチャンたちは、信仰について語らないほうが無難だと感じるようになる。
社会的なプレッシャーがかかるということは、誰かを教会やアルファ・コースに誘うよりも、ホームレス救済ボランティアや、地震被災者のための募金集めについて語るほうが、ずっとたやすいことを意味する。こうして諸教会は、より多くの時間と労力を伝道よりも社会貢献に使うようになった。何らかの手を打たない限り、気後れの故に、伝道の火は完全に消えてしまうことになる。
伝道に関する排他性
一方、筆者は、幾つかの教派の教会が、今でも伝道に腐心している姿を見る。彼らは、伝道こそ教会の唯一無二の使命だと強く主張しているのだ。彼らは、終わりの時が来れば、聖書と人間の魂以外の全てのものは滅び去るのだから、伝道は教会が追い求めるべき唯一のものだと説いている。
一部の人たちは、宗教改革が宣言する真の教会のしるしは、御言葉の解き明かしと聖餐式と洗礼の執行なのだから、教会に付託された活動の中で、唯一宣教的な活動といえば伝道しかないと説いている。しかし、価値ある活動を擁護する点で、こういった主張は、福音宣教と福音の実践を切り離すという過ちをもたらす。私たちは、神が融合させているものを引き裂いてしまわないよう、注意しなければならない。
イエスは福音を語ると同時に病人を癒やし、空腹の者に食べ物を与え、不正を正された。その同じイエスは、「山上の垂訓」を語ると同時に宮清めをなされた。聖書を切り刻んで、イエスの生涯や御業を無視するというのなら話は別だが、御言葉の宣教と行いによる奉仕を強引に引き離してはならないし、伝道と社会正義を引き離してもならない。
起業的伝道
筆者は最近、伝道への起業的アプローチによって励ましを受けている。J・ジョン氏はエミレーツ・スタジアム(ロンドン、約6万人収容可能)を予約し、2017年の大掛かりな伝道大会に備えている。アルファ・コースは斬新で創造的な動画を制作して内容の充実を図り、オンラインで無償利用できるようにした(トライ・アルファ、英語)。同じようにクリスチャニティー・エクスプロアードも、教材を制作して信仰の分かち合いを支援している。「街角での癒やし」ムーブメントは、見知らぬ人のために大胆に祈ることを勧めている。
その他にも、幾つかの新しい啓発サイトがある。例えば「リ・クエスト」(英語)は、宗教教育の講師が、さまざまなテーマに沿って含蓄のある動画メッセージを提供している。また「ザ・ロード」(英語)は、非キリスト者の友人や家族から尋ねられる質問に、信者が答えられるようにすることを目指している。
これらのサイトは素晴らしいものだが、筆者の考えは、キリスト教会が根本的に伝道に向けてシフトする必要があるというものだ。新型iPad Proの機能を紹介してくれた友人のように、クリスチャンたちがエネルギッシュで情熱的で、かつ自然な仕方で信仰を分かち合う光景はあまり見かけられない。中心的な原因は教材不足ではないと、筆者は考えている。
また、伝道意識の低下の要因は、メディアの敵対姿勢や、単純ではあるが広く行き渡っている世俗のエリート主義などの外的要因でもない。もっと内面的な問題である。クリスチャンたちは一定のレベルで、福音による慰めや、福音に対する確信を持てずにいる。聖書に関する知識や、私の友人がアップルの製品で体験したような、人生を変えるほどの体験を持てずにいるのだ。
この記事を書いている今も、筆者はiPad Proで書いた方が簡単だったのではなかろうかと後悔している。
クリシュ・カンディア(Krish Kandiah)
ホーム・フォー・グッド代表、英国クリスチャントゥデイ協力編集者。著書に、『フレッシュ:新入生のためのインスピレーションの一言(Fresh: Bite-sized Inspiration for New Students)』『ルート66:聖書と歩む人生案内の短期集中講座(Route 66: A Crash Course In Navigating Life With The Bible)』など多数。