北海道家庭学校(同遠軽町)の礼拝堂が、3月31日付で道指定有形文化財に指定された。礼拝堂は1919年に竣工した大正期の希少な教会堂で、北海道における学校施設及び教会堂関連の建築として、建築意匠に優れ、歴史的価値の高い建造物と認められた。キリスト教精神を基本とする同校のシンボル的存在で、現在でも毎週日曜日に礼拝が行われ、大切に管理されながら現役で使用されている。
建物全体は左右対称を基本とし、平面を十字形とする伝統的な教会堂の形態が採用されている。質素な木造の趣であるが、外観全体はドイツ下見板張り(隙間をあけた横板張り)を基本とし、縦板張りやハーフ・ティンバー(柱・はり・筋交いなどの骨組みを見せる構造)を組み合わせて変化をもたせている。内部は礼拝堂の中心を意識した天井の幾何学的な枠組みと板張りで装飾され、細部の意匠に工夫が見られる。建築の経緯に関しての資料も学校内に残されており、建築費用、工事日誌、工事に4年を費やしたこと、建築資材を周辺の山林で調達したことなどが分かっているという。
同校は1899年、留岡幸助により東京・巣鴨で感化院(現在の児童自立支援施設)として創設された家庭学校の北海道分校として、1914年に設立された。クリスチャンであった留岡は、キリスト教精神である「慈愛」を教育方針の基本として定め、「よく働き、よく食べ、よく眠る」を掲げて、健康な日常生活の重要さを説いた。
130万坪の広大な敷地を有する同校の豊かな自然の中では、少人数の生徒と職員夫婦が、農場での作業を行いながら、共に一つ屋根の下で生活をしている。家庭学校という名前には、家庭の愛と学校の知に溢れた、家庭であり学校でありたい、という願いが込められているという。
同校は礼拝堂について、「職員にとっては、創設の理念・精神への思いを新たにする所になっており、また、子どもたちには気を引き締める所として家庭学校の精神的支柱であり、よりどこである。礼拝堂はあと5年で100年を迎えるが、今も使われている生きた建物である」と説明。文化財指定を受けて、「家庭学校のシンボルであるばかりでなく、遠軽町のそして北海道の財産として、家庭学校の働きと共に広く認められたことは、喜ばしいことであり、一方では諸先輩の幾多の苦難の歴史と数え切れない支援のお陰で今あることを思わされ、感慨深いものがある」と述べている。
昨年で創立100周年を迎えた同校は、記念事業の一環として昨年7月、長い間塔から下ろされていた鐘を再設置した。建築当初の鐘は戦時中に供出されたため、その後米国から寄贈された鐘が、再び礼拝ごとに懐かしい鐘の音を響かせているという。