先日、首都圏イースターの大会で9名のフルバンドで演奏をしました。その打ち上げを、延びて延びて行いました。この暑さでバテたのか、忙しかったのか、半数が欠席でしたが、とても楽しい時間を過ごしました。クリスチャンという共通点に加えて、音楽仲間の打ち上げには、酒がなくても、飲み会以上に楽しく盛り上がります。
今から2000年前の話ですが、初代教会がスタートした時のメンバー同士の交わり(交流)は、あまりにも喜びに溢れ、恐れを超越し、愛に溢れて伝道していたので、それを見た多くの人たちが、酒に酔っ払っているのではないかと誤解したほどでした。ペテロは、「今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません」(使徒の働き2章15節)と弁明しました。
多くの打ち上げや懇親会にはお酒が付き物です。あるクリスチャンは、「『酒』は『避け』なければいけない!」と考えます。しかし、あるクリスチャンは、酒に飲まれない程度に酒をたしなみます。
聖書は、酒に酔うことに対して警告している反面、イエス様ご自身が、水をぶどう酒に変えられましたし、ぶどう酒を祝福として描いていたり、少量のワインを推奨している箇所もあります。
「わたしは、わたしの民イスラエルの繁栄を元どおりにする。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる」(アモス9章14節)
「ぶどう酒と乳を買え」(イザヤ55章1節)
「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい」(Ⅰテモテ5章23節)
しかし、エペソ人への手紙では、「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい」(エペソ5章18節)と書かれています。
酒と御霊に満たされることが同列に書かれています。酒と御霊に満たされることが似ている面があるからかも知れません。
酒と御霊に満たされることの違いもあります。酒は楽しくなる反面、理性を失い、相手に対して配慮ができない状態になります。つまり、愛の対極に向かわせます。しかし、御霊に満たされたら、楽しくなる上に、理性を失うことなく、相手に対する配慮や愛に満ち溢れ、人間として最高の状態に引き上げられていきます。
私は、御霊に満たされることは、酒に酔うことの100倍は喜びに溢れ、満足できると思います。飲み会はお金がかかりますが、御霊に満たされることはお金で買えません。ただです。みなさんも御霊に満たされることを求めませんか。
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菅野直基(かんの・なおき)
1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッション等、地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での讃美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式等、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。
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