神奈川県の湯河原に在住し静岡県熱海市の工房で数多くのパブリックアート(公共空間にある美術)を手掛けた、美術作家でカトリック元宣教師のルイ・フランセン氏。同氏が残した功績をたたえようと、町立湯河原美術館(神奈川県足柄下郡)の企画展示室で4月24日から5月24日まで、「ルイ・フランセン展―クレアーレ熱海ゆがわら工房から発信するパブリックアート―」が開かれている。
「『ルイ・フランセン展』については、ルイ氏が湯河原に在住していたことから、地元作家を紹介する当美術館の『現代作家展』事業の中で取り上げたものです」と、同美術館は本紙からの問い合わせに答えた。「今回の展覧会では、ステンドグラスや陶板の実物や原画、油彩画等の資料及び写真パネルにより、2010年に逝去したルイ・フランセンの制作活動を振り返るものです」
フランセン氏は、1957年に宣教師として来日し、姫路に赴任した。同美術館によると、フランセン氏は子どもの頃から美術が好きでステンドグラスにも興味を持ち、姫路や長崎の西町、東京の六本木など多くの教会で室内装飾も手掛けた。代表作に、東京都家庭・簡易裁判所に展示されている「希望」と題するステンドグラス(1994年、2.84×1.64m × 2面)があるほか、鹿児島市にあるザビエル上陸記念碑も彼の作品の一つ。
祖国ベルギーで修得したステンドグラスに加え、日本で学んだ陶芸の技術などを駆使して壁画制作に励んだフランセン氏は、社会と共にある美術を希求するようになり、日本ならではのパブリックアートの制作に力を注ぐようになったという。
同美術館によると、駅や学校、病院などの公共空間に作品を設置するパブリックアートは1930年代にアメリカで始まったとされ、日本での歴史は深くない。
「1977年に設立されたクレアーレ工房の所長となったフランセン氏は、自らの作品だけでなく平山郁夫、小倉遊亀など日本を代表する作家の原画を元にした壁画制作を監修、500を超える作品を制作し、日本におけるパブリックアートの普及に尽力しました」と、同美術館はフランセン氏の功績について説明した。
ルイ・フランセン氏は1928年生まれ。1967年に東京芸術大学の聴講生となった後、71年に同大非常勤講師となった。77年には現代壁画研究所(現クレアーレ熱海ゆがわら工房)を設立、所長に就任した。81年に湯河原に転居し、87年には沖縄県立芸術大学教授に就任した。
2010年4月にフランセン氏が帰天した後、同年6月に彼のパブリックアートを撮影した写真集『ルイ・フランセン作品集』がアローアートワークス(東京都豊島区)より出版されている。
ルイ・フランセン展の主催団体である日本交通文化協会の井上由理氏は、本紙の取材に対し、フランセン氏によるパブリックアートについて、「美術というのは人々とともにあってほしいという信念をとても強くもっていたのではないか」と述べた。「人々の中に美術を根付かせることが彼にとっての宗教であり、神であった」と、井上氏は付け加えた。
また、共催団体である町立湯河原美術館で学芸員を務める杉山茂樹氏によると、フランセン氏が亡くなったあとに回顧展をやりたいということで、以前からクレアーレから話があったという。
杉山氏は、「地元湯河原で活躍していたルイさんの功績を町民の方々をはじめ多くの方々に知っていただきたい」と話す一方で、「町内でも、ルイさんという人が各地の駅や空港とかそういった公共の場所に壁画とかそういったものを作っていたということは、実際に、そんなに知られていない」とも述べた。
また、杉山氏はルイ・フランセン展の反響について、「実際にそれをご覧になった方も、町民の方ですと『知らなかったので非常に誇らしい』ということも聞いてます」と語った。
ルイ・フランセン展では、作品の展示に加えて、フランセン氏の人物やアトリエの紹介、ステンドグラスなどに関する約10分のビデオが繰り返し上映されている。
同美術館は、JR湯河原駅からバスで約12分、不動滝または奥湯河原行きバス停「美術館前」下車すぐ。または同駅からタクシーで約8分。水曜休館。詳しくは同美術館のウェブサイトで。