福音―事実と教え―
マルコの福音書1章14節~34節
[1]序
今回は、マルコの福音書1章14~34節に意を注ぎます。この箇所全体の流れを、次の二つの点に焦点を合わせながら、味わいたいのです。
イ)主イエスの福音における事実と教えの堅い結びつき。
ロ)福音宣教とは、主イエスの呼びかけ(calling)と弟子・人間の応答。そうです。呼応関係(旧約聖書と新約聖書を通じて一貫する契約関係)の確立。
[2]主イエスの福音宣教の核心、そこに見る事実と教え(14、15節)
(1)「ヨハネが捕らえられて後」(14節)
前回、1章1~13節を味わい、主イエス・キリストの福音のために、長い旧約時代を通し備えがなされて来た事実を確認しました。またバプテスマのヨハネが主イエスの道を備えた面(継続性)と共に、主イエスご自身のヨハネとの根本的な違い(断続性)を鋭く描いている事実にも注意を払ったのです。
今や、「時が満ち」(15節)です。旧約聖書(参照・ヘブル1章1節)と新約聖書を貫く一貫性と共に、主イエス・キリストご自身のご人格にある進展性が明確にされているのです。参照ヘブル1章2節、「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました」。
(2)「神の福音」(14節)
神に起源を持つ、神からの福音。
(3)福音の核心(15節)、そこに見る事実と教え
この15節は、マルコの福音書を心に刻むための鍵です。主イエスの福音の内容、福音の核心が明示されています。
「時が満ち、神の国は近くなった」(事実)。主イエスご自身のご人格、その宣教活動を通し、神のご統治が確立(参照・ヘブル1章2節)。
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「悔い改めて福音を信じなさい」(教え・命令)。福音の事実と教えは、決して切り離すことはできません。主イエスの福音は、単なる教えではないのです。確かな事実に基づく宣言です。
また単なる奇跡や不思議なことではないのです。出来事と切り離せない、内なる聖霊ご自身の教えと共に人間のことばをもって心にまで語られ、心、生活、生涯において実を結ぶ福音の宣教が伴うのです。
[3]主イエスの宣教の実例、そこに見る事実と教え(16~34節)
14、15節において、最も手短にまた筆太に書いている事実を、16節以下では幾つかの実例を取り上げ、詳しく説き明かしています。
(1)4人の召し出し(16~20節)
主イエスの呼びかけ。主イエスが「ご覧になった」(16節)。「言われた。『わたしについて来なさい』」(命令)。「人間をとる漁師にしてあげよう」(約束)。
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弟子たちの応答。「網を捨て」、「従う」。外なる宣教の言葉と内なる聖霊ご自身の教えと導きにより実現する恵みの出来事。
(2)カペナウムの会堂(21~28節)
①「権威ある者のように教えられた」(21、22節)
②汚れた霊からの解き放ちの事実(23~26節)
ここでも、教えと事実は切り離せないのです。
(3)シモン・ペテロのしょうとめ、家庭(29~31節)
福音は、会堂という公の場で告げられ実を結ぶだけでない。家庭において家族に伝えられ、実を結ぶのです。主イエスがペテロのしゅうとめに、「近寄り、その手を取って起こされ」(31節)る。先行する恵みの事実。
ペトロのしゅうとめ、「彼らをもてなした」(31節)。恵みに対する応答。他者に仕える者とされる。これこそ真のいやし。
(4)さらに多くの人々が(32~34節)
29~31節に見る特別な場合だけでなく、さらに多くの人々の解き放ち。ここに「多くの人」(34節)と要約されている人々を個人的に取り上げるなら、23~26節や29~31節に見ると同様な姿に接するに違いありません。
[4]結び
主イエスの福音が私たちに伝えられ、受け入れられるときにも、事実と教えが切り離せないのです。
(1)私たちに現実となる、主イエスと私たちの呼応関係→召命
①人間・私とは、創造者なる神に呼びかけられている者。「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか』」(創世記3章9節)。
②召し(calling)と各自の職業
イ)職業欄に、私の母など無職と書いた時代。現在はそうはしない。その本当の意味とは。キリスト者にとって職業の意味とは。
ロ)稼がないけれど、働かないわけではない(退職した医師・花崎老兄が学んだこと。自分はもはや稼がないが、働かないのではない)。
(2)ペテロのしゅうとめに学ぶ、いやしとは
医療従事者、そしてすべて専門職と言われる仕事に従事する者にとって大切な指針、Ⅱテモテ1章7節。目前にいる方が、他者に向けて生かされる存在となるためのお手伝い。
(3)マルコの福音書に見るサタン、悪霊についての記事に対する基本的確認、その現代における意味
参照、悪霊払いの主張と沖縄の基地が噛み合わなかった会合。アメリカの有名な神学校の教授が沖縄を訪問するので、牧師の集いを開くよう本土の友人から依頼を受け、急遽開いた集いでのこと。
沖縄で最も大きな困難は何か。そのために特別な祈りをするとの教授の一見傲慢に見える発言に対して、沖縄の最も大きな困難は基地の存在だ、基地の撤去のため祈りをとの発言。その真意は、相手に伝わらなかった。
①無視、軽視してはいけない。主の祈り、「悪(しき者)から救い出したまえ」。真の敵を見違えない。牛は闘牛士の赤い切れではなく、闘牛士自身に向かう必要がある(参照・エペソ6章10~20節、特に6章19、20節)。
②常に主イエスはサタン、悪霊に勝利、苦しめられている人々を解き放つ。十字架と復活の恵みの事実を通し勝利(参照・ローマ8章37~39節)。
③上記の点に立ち、マルコの福音書を読み進めて行く中で出会うサタン、悪霊、汚れた霊についての記事にも注意したいのです。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。