シュラム氏はアジアにおけるキリスト教のリバイバルについて「中国政府は教会支援のために政府予算の30パーセントを拠出している。アジアで非常に大きいリバイバルが起こるのではないかと感じている。日本のクリスチャンもこれから若い人を中心にどんどん増えてくるのではないか」と述べた。
また日本におけるキリスト教のリバイバルで重要なこととして「牧師先生、若い人たちの勇気が必要。真剣に変わっていかなければならない。重要な変化のうちのひとつは、『西欧のキリスト教』とのつながりを断ち切らないといけないのではないかと思う。新しい教派に属していない教会が植えられて(詩篇92・13)、根を下ろしていることが重要。木は根から栄養を得ている。根がなければ、本当の成長は期待できない」と述べた。
同氏の新書「神・イスラエル・教会」について、「これらの言葉の順序も重要。神がなければ、イスラエルに何の意味もない。イスラエルがなければ、教会というのも何の意味ももたない」と指摘し、教会が「イスラエル」をおいて祈る重要性を説いた。
単一神教は、民族主義に陥る危険がある
またユダヤ教、キリスト教、イスラム教における唯一神教と古代イスラエル民族、日本民族などに見られる単一神教の違いについて、「唯一神教は神は一つであり、その神のみを礼拝する。単一神教は一つの神を信じていながら偶像崇拝者であるということ。唯一の神を信じながら、偶像崇拝を続けることが可能である。二つの違った宗教がある。二つの宗教はともに一つの神を信じている」と述べた。
単一神教の危険性について「一神教を信じながら、人種差別が可能になり、民族主義に陥る可能性がある」ことを指摘た。
シュラム氏はマラキ書2章10節を引用し、「我々の父は皆一つ。我々を創造された神は皆一つである。私達には一人の父がいる。ユダヤ人だけの父ではなく、すべての人の父である。一人の父がいるという事実は、人類全体が兄弟であるということを意味する。自分たちの教団の中の人たちが兄弟なのではなく、人類すべてが兄弟、偶像崇拝者も原住民も、イスラム教徒もすべての人が兄弟なのである。一人の父の下に生まれた兄弟であると考えるならば、私達は人類全体に責任がある。世界三大宗教は、『共に兄弟でなければならない』という考え方と責任を持っているべきである」と述べた。
シュラム氏は聖書にしるされている唯一の創造主、三位一体の神を完全に信じるものの、「ニカイア公会議など4世紀以降人間達が集まって行った会議の結果は受け入れられない。(ひとつであった)キリスト教会は会議によって宗派を作り、分裂を繰り返して今日に至ってしまっている。人間の作った信条によって数万人の人々が異端とされ火刑に処されてきた。(このようなキリスト教史を顧みれば)ヒットラーよりもカルビンやルターの方がましであるということは言えない」と述べた。
教会は、もう一度「神」から学び直す必要がある
シュラム氏は、現在のキリスト教会について、「もう一度神から学び直さなければいけない。神がどのようなお方かということからきちんと学び直さなければならない。唯一の神であるという観点から、神とイエス、聖霊との関係を考え直さなければならない」と指摘した。
またユダヤ人に福音を伝える時の注意点として、「プロテスタントの教会に行けば、『神を礼拝します』、『イエス様を礼拝します』、『聖霊様を礼拝します』と言っている。ユダヤ教の人が聞くと、『3人の神を礼拝している』と勘違いされる」と指摘し、父子聖霊がひとつであることを伝えることの重要性を説いた。
慈善活動についても「ユダヤ人に毛布を送っても喜ぶが、善意だけでは信仰には至れない。真理は福音を聞くところからやってくるのであり、福音を聞かないことにはその神を受け入れない。善行は非常に重要ではあるが、それだけでは十分ではない。父子聖霊は完全に一つで同じであることを伝えなければならない」と述べた。
アモス書3章2節では神が地上のすべての部族からユダヤ人だけを選び出したことが書かれてある。シュラム氏は「ユダヤ人にしてみれば、私達の選びはまさにこの御言葉に込められている。世界中のあらゆる人々より多くの罰を私達は受けている。他の民族たちと同じ様であればよかったとも考えている」と述べ、世界のあらゆる部族の中からユダヤ人が選び出された理由について、「最も偉大な民族だから神に選ばれたのではなく、もっとも数が少ない民族だったから選ばれた(申命記7・7)。アブラハムによって起こされた新しい民族は、優れているからではなく、もっとも小さな者たちだから選ばれた。選ばれた人たちの栄光としてではなく、すべての栄光が神に帰するようにするべきである。神は貧しく、へりくだった、小さな者を選ばれる(Ⅰコリント1・26~29)」と説いた。
また日本民族についても、シュラム氏は「ユダヤの失われた12部族の一つであると考えている人もいる。神の預言の成就の中の一部に日本民族が含まれると考えている人たちもいる。世界の歴史において、すべて神が預言されたこと、計画されたことが順番に成就している。神は預言者たちに知らせる前に何かをなされることはない」と述べた。
かたくなだが忍耐強いユダヤ人を神が選ばれた理由
シュラム氏は「イスラエルの歴史を考えると、神様のご計画は失敗されたのではないかと考えてしまうことがある。ユダヤ人の歴史は神に対して反抗と文句を言う連続であった。ではユダヤ人を選ばれたこと自体が神の失敗であったのかと言われれば、全くそうではない。ユダヤ人が完全に神に従順な人たちであれば、おそらく諸国民は『神はこの人たちがもともと従順であったから選ばれたのだ』と思うだろう。(他民族が神に選ばれた)ユダヤ人に憧れることは間違っている。ユダヤ人が賢いすばらしい民族であるというのは間違いである。神はユダヤ人がかたくなな民族だから選ばれたのであり、かたくなな民族を敢えて選ぶことによって、神の全人類に対する愛と恵みを示されるためである。神はユダヤ人がかたくなであることをわかっておられながら、あえてユダヤ人を選ばれたのである。かたくなだからこそ、どのような困難な条件を与えても、その条件を跳ね除けて行くであろう。他の人なら諦めることでも保ち続けるだろうと思われたのではないか、いつか世界の人たちが真の神、救い主がいることを知る時が来る。そのことのために神はユダヤ人を選ばれた」と説いた。
ユダヤ人の救いのために与えられた「新しい契約」
新約聖書という「新しい契約」についてシュラム氏は「新しい契約は教会に与えられたものではない。古い契約を与えられたのと全く同じ人たちに新しい契約が与えられた(エレミヤ31・31)」と述べ、異邦人とともにユダヤ人が救われるために与えられたものであることを指摘し、「教会は自分たちの教会が始まった原点よりも、イスラエルとのより強いつながりを必ず持っているべきである。聖書はイスラエルの歴史である」と述べ、世界の救いを考える時、教会がユダヤ人の救いを差し置いて考えることはできず、クリスチャンの信仰には、その中に「イスラエルの救い」への祈りがあることが必要であり、教会とイスラエルの関係は絶ってはならないものであると伝えた。
最後にシュラム氏は最近のイスラエルについて「ユダヤ教の正統派ラビが『イエス・キリスト―誤解されているユダヤ人』など福音を伝える本を出版している。ユダヤ教の指導者がイエスに関する肯定的な本を書くようになっている」と伝え「イスラエルと教会は必ずひとつになって働かなければならない。ユダヤ人に対して妬みを起こさせないといけない。イスラエルの神をユダヤ人が愛する以上にクリスチャンが愛する。それ以外の方法でユダヤ人に妬みを起こさせる方法はない。すべてのイスラエル人が救われるために祈り続けていただきたい」と呼び掛けた。