石山みち子さんは同教会牧師夫人の父母でクリスチャンの石山伊佐夫、寿子夫妻の兄嫁で、40年以上新興宗教を信じ、熱心な信者として活動していたという。そんなある日、廃品回収に新聞紙を出そうとしたところ、ぎっくり腰になり、治らない状態が続いたという。みち子さんは当時に状態について「悪霊が待っていたのか、霊が身体の中に入ってきてしまいました」と振り返る。その後自身の顔つきが変わり、同じ宗教の人たちから祈ってもらうこともあったが、「祈られれば祈られるほど苦しくなった」という。食欲が出ず、入浴しても身体が温まらず、精神病院に入退院しては苦しさのあまり死ぬ事ばかり考えていたという。
新興宗教の祈りは、悪霊を上から追い出すだけだった
みち子さんは当時信じていた宗教について「霊の力は確かにあるのですが、上からついている悪霊を追い出していくんです。上から出すので抜けてしまうんですね」と証しした。悪い霊が身体に憑いた状態にある人に対して、当時信じていた宗教の祈りをすることで、悪霊が上へ抜けていくものの、キリスト教の祈りではないため、聖霊に満たされる状態にはならず、次から次へ悪霊が憑いては祈りで上から追い出すだけという宗教であったという。
みち子さんが精神的に自殺未遂という極限の状態まで追いつめられる中にあっても、それまで信じていた宗教でいろいろな霊的な力を受けていたため、キリスト教の教会に行くことを躊躇していたみち子さんの弟嫁石山寿子さんが、熱心な愛と忍耐でみち子さんを伝道し続けており、ついにみち子さんが炎リバイバル教会で行われた聖会に来会するに至ったという。
みち子さんは教会に初めて足を踏み入れた体験について「教会に入った瞬間身体が楽になりました」と語る。みち子さんがついに教会に来た日は、新城教会牧師滝元順氏の特別聖会が開かれていたという。滝元氏は日本における個人の霊的解放について草分け的存在として知られており、数々の神のいやしと油注ぎが伴う力強い集会を導いている。
篠原氏は「聖霊様はその聖会の中で彼女に解放の御業を成してくださいました。その瞬間、今まで何も食べられなかった彼女に急に食欲がわいてきたのです。彼女はその日の聖会で確かに、イエス様に触れられ、いやしと解放を受け取りました。私達牧師家族は、親類縁者の救いを祈り続け機会あるごとに伝道し続けていました。しかし、特別集会やコンサートの時だけ来る、または教会を毛嫌いして来たがらない人がほとんどで、親戚の救いは難しいなと感じていました。その中でも、特にこの人は…というのが牧師夫人の伯母にあたるみち子さんでした。某新興宗教歴40年以上の筋金入りの信者であり、親類中一番キリスト教に反対し、家族が教会に行くのさえ許さないという熱心な信者でしたので、『この人だけは無理だろうな』と内心思っていました。その某信仰宗教を長年新興して熱心に仕えていた彼女は、逆に悪霊の束縛を受けてしまっていたのです」と証しする。みち子さんが救われるまでは、篠原牧師家庭や教会のスタッフが、みち子さんのためにとりなしの祈りを続け、また寿子さんは継続的にみち子さんに電話で伝道を続けていたという。
新興宗教で鍛えた祈りの姿勢を方向転換、イエス・キリストと聖霊へ
みち子さんは教会で救われた体験について、「(新興宗教の悪霊の追い出しでは)悪霊が上に上がって抜けていっちゃうのですが、イエス様は悪霊を下に下して取り除いてくださるお方で、光輪のようなものが落ちてくるのがわかりました。聖霊様だったのだろうと思います」と証し、新興宗教の祈りでは悪霊が上から出るだけであった一方、キリスト教では悪霊が追い出された後更に別の悪霊を受け入れる状態に捨て置かず(ルカ11:24)、聖霊が下る体験が実際に出来たことを証しした。
悪霊に憑かれていた頃のみち子さんは食欲不振でやせ細り、髪も抜け落ちて薄くなったため、表にはほとんど出ない生活が続いたという。確かに聖霊が下った体験で救われたみち子さんは、キリスト教にしか救いがないことを確信し、3か月で洗礼に導かれたという。
みち子さんは現在では新興宗教で培った祈りの姿勢を新興宗教の教祖ではなくイエス・キリストに向けて集中して祈ることができるようになり、「イエス様聖霊様…」と時間ができれば熱心に祈っているという。祈りの内容は「以前自分に憑いてきた悪霊が他の人に行ってしまったりして大変だったことがありました。ですからイエス様、聖霊様、私に憑いた悪霊を誰にも私から行かせないでください。イエス様、聖霊様、悪霊を取り除いてぎゅうぎゅうに縛りつけて、二度とここに戻って来ないように遠くに飛ばしてください」というものであるという。
みち子さんは、「子どもたち、主人も皆救われるように、家族全員クリスチャンになるようにと思っています。家族の伝道は無理にすることなく、お祈りしていれば大丈夫だと思います。クリスチャンになって本当に良かったです。祈りが通じて主人も教会に来てもらえたらと思っています」と述べている。
みち子さんの受洗によって、「彼女が変わったのだから」という理由だけで教会にやってくる人が現れ、その2カ月後にさらに親戚のひとりが洗礼を受けるに至ったという。篠原氏は「昔は親類最大のキリスト嫌いで家族が教会に行くのさえ反対した彼女が、パウロのように大変身し、親類や家族の救いを本気で祈り、伝道しています。本当にイエス様は私達の思い考えをはるかに超えた方法で、また思ってもない人を救い出し、親類の救いの御業を始めてくださいました。ただ主に栄光です」と主の栄光が表れたことを証ししている。
篠原氏が牧会する炎リバイバル教会では、礼拝、祈祷会、バイブルスタディと自主的に集まって行われる早天祈祷会というオーソドックスな教会プログラムをもっている。年に少なくとも10人以上の同教会外部の講師を招いての礼拝、聖書講義などが開かれているという。篠原氏は「外部の先生が来られると良い刺激になります。人生体験や物事の知識を持っておられます」と述べている。
また主日の礼拝後には信徒らによる自主的な祈祷会が1時間ほど行われており、個人の課題や全体的な教会の祈りをとりなすなどの積極的な祈り会が行われている。聖餐式も祈祷会の中で、信徒らによっても行われている。
教会で洗礼を受けた後の信徒の霊的成長について、篠原氏は「日本人は教えを受けてそれを熱心に聞くのが好きな国民ですから、聖書の学びや聖書研究、バイブルスタディというものが成長の鍵になっているのかもしれません。教会はイエス様のミニストリーであり、イエス様のミニストリーはまとめると御言葉と油注ぎということになります。現代の教会においても、霊的成長を促すために何か新しいものを模索して探すよりも、聖書の基本に戻って、御言葉の説き明かしと聖霊の働き、油注ぎに忠実にバランスよく行うことが大切だと思います。なぜならば、イエス様がそのようにされていたからです。会堂で御言葉を教え、教えられただけではなく、油注ぎによるミニストリーも行われ、油注ぎの中で悪霊が出ていき、癒された奇跡が必ずありました。この二つのバランスをとり、忠実に行っていこうという姿勢が大切ではないかと思います」と述べている。