7日恵那レーマミニストリー立川聖会で徐起源氏は「信仰の確信をいかに持てるか」について講義を行った。またキリストを信じる者が一般的に行うことができる「いやしの方法」についても御言葉に即して論理的に説明した。
~キリストの十字架で何が起こったのか?~
使徒の働きを読むと初代教会の弟子たちは実際に病人をいやす奇跡を行っていたことが記されている。徐起源氏は「いやしの方法」について、信じる人々が病人に手を置けば病人がいやされる(マルコ16・17-18)ことを聖書の御言葉に沿って論理的に説明した。いやしの業を行うにあたって徐氏は「理屈を知ってください。どんなに素晴らしい新幹線でも、線路がなければ走らないのと同じです。どのようにするといやされるのかを知ることが大事です」と述べ、いやしの業にはきちんとした決まり事があり、その通りに行うことでいやしの業を行うことができると説いた。
イエス・キリストが「私たちが罪を離れ、義のために生きるために私たちの罪をその身に負われ、キリストの打ち傷のゆえにいやされた(Ⅰペテロ2・24、イザヤ53・4~5)」現代社会に生きるキリスト教徒の間では「イエス・キリストのいやしは肉体的ないやしではなく、精神的ないやしをもたらされた」と置きかえられて解釈されることがあるものの、これについては福音書の中で、イエス・キリストが心のいやしだけでなく、実際に大勢の病気の人々を直される(マタイ8・16)という肉体のいやしを行ったことが記されてある。また同様のいやしを弟子たちも行っていたことから、聖書の御言葉から精神的ないやしだけではなく肉体的ないやしも十字架によってもたらされたことが確認できる。
徐氏は「いやしは神の御心」であるものの、「私たちが罪を離れ、義のために生きる(Ⅰペテロ2・24)」ことになることが神の本当の御心であることを説いた。イエス・キリストの十字架について「十字架にかかられたのは、私たちの(地上での)病気を治すためだけではなく、天国で共に私たちが健康に生きることに焦点が合わされている」と説いた。
そのため、いやしの業を実際に行う際に注意するべきことは、ただ相手の病をいやすだけで終わるのではなく、義の道を歩ませるように、またいやしの業を行う自分自身も高ぶらず義の道を歩み続けることが必要であり、「神様が喜ぶ生き方をする人となるようにいやす相手を導いてあげることが私たちの本当の目的であることを忘れてはならない」と説いた。
~あらゆる病気はのろいから来ている~
徐氏は聖書の御言葉に沿って、病気が生じた発端について「善悪の知識の木の実を食べたこと」に由来し、そのことで「霊的な死」が生じ、祝福しかなかった世界(創世記1・31)がのろいに変わったと説いた(創世記3・17)。律法ののろいとは何かについて、申命記28・15~61より特に61節であらゆる病気はのろいであると書いてあること、律法に縛られた世界にあって「キリストが私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださった(ガラテヤ3・13)」おかげで私たちが死から解放され、地獄に行くのろいも解かれるようになったことを説明した。
徐氏は特別の人にあるいやしの賜物(Ⅰコリント12・9)でなく、信じる者が行うことができる一般的ないやし(マルコ16・17、18)は、いやしの祈りを行う側、受ける側両方の信仰によって授受がされた時に起こるものであると説いた。そのため、イエスの名によって手を置いて祈ってもいやされない場合、いやしの業を行う側の霊的な問題がある場合等と、いやしを受け取る側が信仰で受け取れない問題がある場合等があるという。
~信じることは、ものすごく論理的なこと~
ヘブル書11章6節には「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」と書かれてある。神の恵みを受けるには、神に何かを求めるものでなく、神ご自身を求める者にあることを説いた(マタイ6・33)。
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ(マルコ12・30)」とあるように「私たちと相思相愛になる」ことが神の御心であり、神を信じ、天上の世界に焦点を合わせて神と共にいる生き方ができるために、いやされることによって、義の道を歩むことができるようになることが神から願われているという。
~いやしの業を行う条件~
「主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう(Ⅰペテロ3・12)」とあるように、祈りが聞かれるためには義人になる必要があるという。ローマ書8章1節には「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してない」とあるように、「これからも罪は犯しますが、私には罪はありません。なぜならイエス様が罪の代価を払われましたから。悪魔が自分の罪について指摘してくるときに、サタンの思いを御言葉で拒絶できないと義人の祈りができません」と説いた。
「あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります(ヤコブ5・16)」とあるように、何かを祈るとき、罪を先に告白し、その後にいやしの祈りをするべきであるという。
人間が罪を犯さないで生きるということは現実的に不可能ではあるものの、互いに罪を言い表し、天の父に「赦して下さい」と告白することで十字架にかけられたイエスの血によって罪を消すことができるという。過去・現在そして未来のすべての罪の代価を十字架上でイエスが支払ったため、「あなたが罪を告白したら罪は消えます。罪を告白してから祈るべきです」と説いた。
また手を置いていやしの祈りをするとき「わたしの名によって(マルコ16・17)」とあるように「イエスの名で祈る」ことが重要であるという。病や悪霊に憑かれている人から悪霊を追い出すとき、イエス・キリストが命じていたように(マルコ9・25)、病の霊に命じて、その人の中に二度と入らないように、また出て行くところも「地の底へ行け」と指定することが重要であるという。また霊が去った後の体の器官と組織が元通りの機能を回復するように命じ、神様が本来創造された通りに機能させる祈りをすることで、いやしの祈りを完了させることができると説いた。
~信仰はどのように使うのか?~
「心の中で疑わず、『動いて、海に入れ』と山に向かって命じるなら、その通りになるのであり、祈って求めるものは何でもすでに受けたと信じればそのとおりになる(マルコ11・23~24)」と書かれてあるが、徐氏は「いやしの業を行うとき大切なことは、いやしは信仰で行われており、治っていないときに『すでに受けた』と信じるのが信仰です。見える世界では治っていなくても、見えない世界では『イエス様の打ち傷でいやされた』と過去形で書かれてあるように、霊の世界ではすでにいやされています。祈ってすぐ変化がなくても『治った』と現実の世界で信じることが大切です」と述べた。
一方「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです(ヘブル4・2)」とあるように、御言葉と信仰がつながらなければ、いやしは起きず、御言葉を信じた時にそれを信じる信仰によっていやしを受け取ることができると説いた。そのため、いやしの業を行うには、いやしを学ぶだけではなく、信仰の使い方を良く知る必要があるという。
また祈るときには、聖書の御言葉によっていやしの奇跡が起こるため、ただ「治れ」、「出て行け」と言うだけではなく、「第一ペテロ2章24節にイエス様の打ち傷によっていやされた」と書かれてある、ヨハネ15章7節に「わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなた方のほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます」、ピリピ4章19節に「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要を満たしてくださいます」と書かれてあるからその通りになることを信じて御言葉に沿って祈ること、悪霊に命令することが大切であるという。
~栄光を主に返す~
またいやしの業を行うことができたら、栄光を主に返す(ヨハネ7・18)必要があり、たとえいやしの業を行うことができたとしても、栄光を主に返さず、自分のものとするためにおかしくなっていく人がいることについても注意した。信仰は神からの賜物(エペソ2・8)であり、イエスの名も戴きものであり、御言葉も戴きもの、神の義も戴きもの(ローマ5・17、3・22)、それにともなういやしの業も神からただで受けたものであるから(マタイ10・8)、ただで相手に与えるべきで治療費は受け取っていけないと説いた。しかし、福音伝道のための献金を受けたなら、相手にその100倍の祝福があるようにと祈ることを勧めた(マルコ10・29、30)。
その他いやしの業を実際に行う際の御言葉に沿った具体的なマニュアルやいやしの祈りをする側、いやしを受ける側双方の具体的な御言葉に即した祈り方、いやされた後主に感謝し栄光を返す必要について説明がなされた。
徐氏はいやしの業について、イザヤ書53章5節には「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」と過去形で記されており、「時間は神様が作られたものであり、霊の世界では既に終わっていることを私たちが信じるだけです。見える世界では見えない世界で既に完了している御言葉の通りに事がなされていっているだけです。まだ治っていないうちにもう治ったと信じる聖書の考え方を身につけてください。聖書に既に書かれており『かなえられた』と信じる信仰が、聖書が教えている信仰です。『天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福して下さいました(エペソ1・3)』とあるように、私たちは永久に祝福されています」と述べた。
次ページはこちら「信仰の確信を持つ10のポイントとは?」
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