第一列王記19章では預言者エリヤが850人のバアルとアシェラの預言者たちの前で真の神を証しし、彼らを殺し、カルメル山の頂上に上り、主に祈って大雨を降らせた後、王妃イゼベルがエリヤの命を狙っていることを知り、自分の死を願った場面が書かれている。
徐氏は、この場面において、預言者エリヤが神を見失い、ビジョンのない人になっていたことを指摘し、私たちもエリヤのように、信仰の道を歩みながらも現実の経済問題、環境・社会の問題などに直面し、自分ひとりがクリスチャンであるように感じられてしまうことがあるのではないかと問いかけた。そのようなときに、エリヤと同じように神を見失い、人に言われた言葉や環境に捉われてしまいがちになってしまうため、「試練が与えられたとき、自分が(Ⅰ列王記19章の)エリヤのような状態になっていないかチェックしてみてください」と警告した。
同箇所においてビジョンを見失っていたエリヤに対し、御使いが来て食べ物を与え、さらに「旅はまだ遠い」と伝えることでエリヤに対して「まだ進むところがある」というビジョンをも与えた。その後エリヤは神の臨在が至るところに感じられる神の山ホレブに向かい、主の言葉を直接聞いた。
徐氏は、ホレブの山において神様がイゼベルの言葉におののいていたエリヤの信仰の状態を立て直そうとされておられると指摘した。エリヤはホレブ山の見晴らしの良い良く見えるところに立たせられ、大風、地震、火という体感することができるもの、そして見えるものの後に、見えない神の声の呼びかけを聞いた。
徐氏はエペソ書1章3節~5節を引用し、「私たちは生まれながらにして神様のビジョンが備えられています。天地万物宇宙が造られたとき、キリストのうちに選ばれており、新約の救いは天地創造の前から考えられていました。エリヤの後継となったエリシャも、はじめから神の計画のビジョンの中に入っており、エリヤもまた神様のご計画の中でここで終わるのではないビジョンがありました。だからこそ神様は『何をしているのか』とエリヤに問いました。エリヤと同じように、経済・社会の問題に捉われて、神を見失って、ただあきらめてしまっている姿は私たちのうちにないでしょうか」と問いかけた。
徐氏は、エリヤがバアルの預言者450人に勝利したにもかかわらず、イゼベルの一言を恐れたことについて「エリヤが見えるものにしか目を留めていなかったからである」と指摘、「神の山に行きながらも、見える所で神を見ようとし、見ることができませんでした。神様が味方であるからこそひとりでもバアルの預言者たちに勝利することができたにもかかわらず、神様を見失ったために、イゼベルの言葉におびえるようになってしまいました」と解説した。
またこれと同じように世の中で悩んでいる人、苦しんでいる人も、(神を認めず)目に見えるものにおびえている姿があることを指摘し、主を信じる者にはいつでも共におられ、神の導きや天使の助けがあることをヨシュア記1章9節、ローマ書16章20節、ヘブル書1章14節、ヨハネの福音書14章16節を引用して説明した。
徐氏は第一列王記19章18節で主が「わたしはイスラエルの中に7千人を残しておく」と書かれてある箇所が、日本に残されたクリスチャンの状態と重ねて見ることができるのではないかと指摘した。当時のイスラエルでは偶像が崇拝されており、神を信じる預言者エリヤはバアル崇拝者たちの中で孤立状態にあった。
これと同じように、キリスト教徒の人口が1パーセント以下である日本においても、クリスチャンはそれぞれの置かれた家庭や職場にあってたったひとりのクリスチャンであるということが頻繁に生じている。徐氏は、「あなたが職場で、地域でたったひとりのクリスチャンであったとしても、そういう中に天使の助けがあります。自分がどういう者なのか、見えるものに恐れるのではなく、見えないものにこそ目を留める必要があります」と述べた。
日本のリバイバルについても、エリヤの時代にバアルにひざをかがめず、口づけをしなかった残された7000人がイスラエルのために戦い、敵の大軍12万7千人を相手に勝利したように、神を信じている人が少ない日本にあって、残されたわずかなクリスチャンの信仰によってリバイバルが起きていくのではないかと指摘した。
アハブ王は神を信じている王ではないにもかかわらず、神様はアハブ王の治めるイスラエルにおいて偶像に仕えなかった7000人を通して勝利をもたらすようにさせた。第一列王記20章15節を見ると、その7000人のうち232人が若者であったと書かれてある。このことから徐師は、リバイバルは若い人たちだけではなく、若い人たちと若くはない人たちが共に加わって起きていくのであると述べた。クリスチャンの少ない日本にあって、私たち日本のクリスチャンが信仰の道を歩んで行く際に、預言者エリヤが戦いに勝利した時と死を願った時があったことを良く覚える必要があると述べた。
徐氏は、「私たちが見える世界の中にあっては、職場で自分だけがクリスチャンで、上司や社長の言葉をまるでイゼベルの言葉のように恐れる姿がないでしょうか。そのようなとき勝利は起きません」と述べ、見えるものに恐れるのではなく、見えないところに隠れておられる神を見るべきであると警告した。
エレミヤ書23章23節では神が遍在なる神としてどこにでもおられることが書かれてある。 私たちがエリヤと同じように孤独に陥り、疲れ果ててしまうのは、見えるものしか見ていないからであり、見えないところに敵の数より多くの天使が私たちに仕えていること(Ⅱ列王記6・15~17)を認識すべきであるとし、「見えるものを見る時に怖気づいてしまいますが、敵以上の数の天使が私たちのまわりにいます。天使があなたに仕えるために用意されています。地域でたったひとりのクリスチャンであったとしても、見えない天の軍勢がいることを確信するときに、リバイバルを起こすことができます」と述べた。
徐氏はコロサイ人への手紙1章16節を引用し、「見えるものも見えないものも御子によって造られ、御子のために造られた」ことを伝え、「見えないところに日本がリバイバルするだけの戦力が持っていることを信じる時、リバイバルが起きます。私1人だから出来ないと思う時、何も起きません。『今整った』と信じていくとき、私たちは勝利していくことができます。エリヤがひとりで信仰の道を戦ってきたように、私たちも勝利していくことができます。そしてリバイバルが生じたら、『収穫が多いが働き手は少ない(マタイ9・37)』ときがやってきます。その時はあなたが教え、導き、あなたの家に人が来るようになり、『家の教会』の時代になるでしょう。そのとき集って来る人たちを救いに導き、聖霊のバプテスマの体験をさせ、いやしを与え、悪霊を追い出すことができるように、その時の準備をしていかなければなりません」と述べ、来たるべきリバイバルに備えて信仰を養っていくことが大事であると伝えた。
徐氏は聖会の講義を通じて、見える世界ではひとりであると感じられるときも、預言者エリヤのように落ち込まず、見えないところにおられる神がいつも共におられ、永遠に共におられることを認識し、見えない世界では「信仰の戦いで勝利する準備が既に整えられている」という確信を持ったクリスチャンになることが大切であることを強調した。
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徐起源(そう・きうぉん)牧師は恵那レーマミニストリーの代表、ERM聖書学校学長、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。
インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。 恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー公式サイト(http://www.ermbible.net/)。無牧の人の為に日曜日10:30から礼拝発信 http://ustre.am/gL5a ,著書「信仰の使い方をご存知ですか?(上)(下)」「あなたは神の義をいただいていることをご存知ですか?」