人には幼い時から身に付けてきた考え方の癖というものがあります。その中でも、意識しなくても自然にわき起こる考えを「自動思考」と呼び、まずこの部分を意識できるようになることが認知行動療法のスタートです。
悲観的な人というのは、悪い出来事が起きた時に、その悪いことが「ずっといつまでも、変えることができない、自分にしみついた性格のために」起こるというように考えてしまいます。
例えば、子どもが宿題をやらないので大声で叱ったとしましょう。その時にあなたが「子どもを怒鳴ってしまうような自分は悪い母親だ」と考えるなら、あなたは落ち込んで、自分は子育てに向いてないと感じるかもしれません。この「悪い母親」という言葉は、「ずっといつまでも変えることができない自分にしみついた性格」ということになり、落ち込みとあきらめが続くようになります。
これを「永久的、普遍的、個人的な説明」と呼びます。根拠もなく、自分を責め、解決が見つけにくくなるのです。たった一つの小さな悪い出来事を、人生全体に、生涯にわたって広めてしまうのです。ちょうど白いキャンパスにポトンとおちた黒い点に嫌気がさして、心というキャンパス全部を真っ黒に塗ってしまうようなものです。
一方、楽天的な人はつらいことが起きてもそれを「一時的に、たまたま偶然に、このことだけに起きた」と制限できます。例えば、親友に電話をくれるようにメールを入れておいたのに、電話がかかってこない場合に、「今週は残業だと言っていたから、彼は疲れているのだ」と考えれば、別に落ち込むことはありません。あなたは気を悪くしないで、一日を普通に過ごすでしょう。
これは電話がかかってこないという悪いことを「今だけ、特別な、あの人の事情で」問題が生じているという考え方です。これを、「一時的、特定的、外的な説明」と呼び、この説明モデルであれば、落ち込まずに前向きな対応ができます。偶発的なことと解釈し、決して自己否定することはしません。白いキャンパスに少々点が付いても気にしないで、他の広い場所に楽しく自由な絵が描けます。
このように、たとえ嫌な出来事を体験しても、それを「一般化、永続化、個人的な説明(過度の自己責任化)」しないように解釈していくことが、自動思考を合理的なものに変えていくコツです。
自己否定的な自動思考に気付いたら、自分に次の3つの問い掛けをしてみます。
- 「私がそのように考えるその根拠はどこにあるか?」 自動思考を支持する根拠は何か? 自動思考に反する根拠は何か?
- 「別の解釈はできないか?」 最悪の事態として予測されることはどんなことがあるだろう? 逆に最良の場合はどんなことが予測されるだろう? 最も起こり得る現実的な予測はどうだろう?
- 「別の考え方ができないか?」 自分の考え方が有益でないと気が付いたら、わずかな情報で決めつけないで、自動思考を修正してみます。そして、適切な聖書の御言葉に置き換えるように練習していきます。以下に例を示します。
何かやる気がなくなっている場合は、「どうせ自分なんか何をしてもダメだ」と考えていることがあります。その時は、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:13)が励ましになるでしょう。この言葉を覚えて、何回も唱えます。人が周りにいなければ声に出した方が、効果があるでしょう。
何かしら孤独を感じる時は、「自分は誰からも好かれていない」と思い込んでいるかもしれません。その時は「わたしの目には、あなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)という御言葉が助けになるかもしれません。
職場での漠然とした不安が「職場の上司が怖い。皆にいじめられる」という恐れから生じている場合もあるでしょう。その場合は、「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう」(詩篇118:6)。このような要領で、自分の心によく浮かぶ否定的な自動思考を中和できるような聖書の箇所を祈りつつ見つけ出し、何回も唱えてみてください。
これは簡単な作業ではなく、初めはうまくいかないので「やっぱり自分は何をしてもダメな人間だ」と考えてかえって落ち込む人がいます(これも自動思考ですね)。何十年も付き合ってきた癖ですから、そう簡単には変わりません。「こうあるべき自分」と「そうできない自分」のギャップを見つめ過ぎて、それを何とか穴埋めしなければとがんばり、焦るのです。効果の実感が得られなくても、御言葉に伴う神の力を信じて、肩の力を抜いて御言葉を唱え続けてください。ふっとリラックスできて、神の力を感じる瞬間を経験できることでしょう。
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浜原昭仁(はまはら・しょうに)
金沢こころクリニック院長。金沢こころチャペル副牧師。1982年、金沢大学医学部卒。1986年、金沢大学大学院医学研究科修了、医学博士修得。1987年、精神保健指定医修得。1986年、石川県立高松病院勤務。1999年、石川県立高松病院診療部長。2005年、石川県立高松病院副院長。2006年10月、金沢こころクリニック開設。著書に『こころの手帳―すこやかに、やすらかにー』(イーグレープ)。