聖書考古学資料館(TMBA)館長津村俊夫氏は、第二回目セミナーにおいて旧約聖書の預言者ホセアが生きた時代に広まっていた「豊穣儀礼」の様子について解説し、現代日本社会に住む私たちに、当時の豊穣儀礼と預言者の警告がどのような意味・重要性を持っているかを説明した。
紀元前8世紀の預言者ホセアの時代において、ホセアが活躍した北イスラエル王国では、経済的・政治的に安定しており、宗教的な堕落が生じていた。
当時子牛崇拝が盛んに行われていたことが考古学的見地からも示されており、ホセア書でもその様子が克明に記述されている。1990年にはイスラエルの古代都市アシュケロンで紀元前16世紀に作られた「銀の子牛」の像が出土しており、古代イスラエルにおける「子牛崇拝」の歴史が長く続いていたことが改めて示された。
ちょうどモーセとアロンがエジプトからイスラエルの民を導いていた時代が紀元前15世紀(早期説)又は13世紀(後期説)であるから、その時代にはすでに「子牛崇拝」がカナンの地に久しく続いていたことになる。出エジプト記20章3~4節では「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも作ってはならない」との警告が書かれてあるが、その警告を破ってアロンは民の不安を取り除くために「金の子牛」を造り、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」(出エジプト32・4)と民に伝えた。
前10世紀後半には、政治的な意図からヤロブアムが金の子牛を二つ造り、イスラエルの民に、エルサレムに上らなくてもそれぞれの地で礼拝できるようにさせた。「子牛」という偶像を造ることで、「見えない神」を見える神にさせてしまったこと自体が問題であり、偶像を土地土地で造ることで、それぞれの土地での神が生じ、「ヤハウェの『地方神』性」が生じるようになっていったことが指摘された。
さらに地方神性がはびこるに応じて、それぞれの土地の「ヤハウェ」の配偶者となる女神も生じるようになり、土地土地に偶像、偽りの神を崇拝する文化がはびこっていき、ヤハウェ宗教の仮面をかぶった「バアル宗教」が盛んに生じるようになった。
津村氏は「バアル宗教」において非常に注目するべきこととして「創世記には『バアル』の記述がどこにもない」ことを挙げた。イスラエルの民がエジプトから荒野の地を通り、カナンに近づくにつれ、バアルを崇拝するようになっていったことが、聖書の記述や出土されたバアルの彫像等によって示されている。
バアル宗教はイスラエルに於いて紀元前10世紀までは生じては消えて行くような状態であったが、当時ソロモン王が外国の妻たちによる異邦の神の崇拝を合法化してしまったことによって、イスラエルの民の間に様々な宗教の影響が公認された形で入ってくるようになった。紀元前9世紀にはイゼベルとアハブによるバアル崇拝が盛んに行われ、第一列王記18章19節には「バアルの預言者450人、アシェラの預言者400人」が生じるようになったことが書かれている。
その後紀元前8世紀の預言者ホセアの時代においては、経済的・政治的に比較的安定した中にあって、ベテル、ダン、サマリヤ、テマンとそれぞれの地方において子牛に関係のあるヤハウェが生じており、ヤハウェとバアルの一体化も生じるようになった。考古学的見地からすると、当時イスラエル以外の異教の国では、豊穣儀礼として子牛、地方神、アシェラ女神を崇拝することは当たり前の様に行われていたという。
豊穣儀礼は繁栄、御利益をもたらすために行われていた儀礼で、「バアル」は豊穣神として祭られており、「良きこと、良きもの」をもたらす豊穣の神であると信じられていた。他にも豊穣の女神として、アナト女神、アシェラ女神、アスタルテ=イシュタル=アフロディテ女神等も崇拝されていたことが、出土された豊穣儀礼文書などから示されている。
豊穣儀礼の祭儀の習慣として、人間が「神々」への呼びかけを行い、共感魔術によって「死と悪」の神を征服することが行われ、倫理を超えて「滞りなく」祭儀が行われるようになっていったことが、ウガリト出土の粘土板文書 (KTU 1.23/UT 52) に基づいて解説された。
紀元前8世紀のイスラエルの歴史において、津村氏は「表面的にはヤハウェを礼拝しているように見えても、実体は限りなくバアル礼拝であった」ことを指摘し、その結果神の裁きが生じ、アッシリアによる捕囚が生じるようになった(Ⅱ列王記17章6~23節)ことを指摘した。
また紀元前8世紀の繁栄した世の中にはびこった偶像崇拝から、現代社会に当てはまる教訓として、「健康と富の神学の問題」が指摘された。つまり人々が自身の健康や繁栄を求める御利益宗教として「神」を崇拝し、「赦しなしの癒やし」を求める時代となってしまっており、「異教を知れば知るほど、私たちがキリストにあって生きているということが、本当に素晴らしいということがわかってくるのではないか」と述べた。
また当時の預言者を通した神の警告を現代に適用すれば、「神との関係の回復」こそ現代の社会にあって大切なのではないかと指摘された。預言者ホセアのメッセージには、偶像崇拝を警告し、創造主のみが民を救いにもたらすことが語られている。創造主以外に救う者はいないにもかかわらず、「牧草を食べて食べ飽きたとき」心が高ぶり、創造主を忘れてしまう民の姿(ホセア書13章4~6節)、それでも主が民を見はなそうとせず、主に立ち返り、全ての不義が赦され、良いものが受け入れられるように願うなら、自分たちの手で造った物に『私たちの神』と言わずに、みなしごが愛されるのは主によってだけであることを悟るなら、主が民の背信をいやし、喜んで民を愛されること、怒りが民の下から離れ去ることが書かれてある(ホセア書14章1~4節)。
津村氏は「背後にカナンの地でバアル崇拝がはびこっていたということを、私たちがまるでその時代のひとりであったかのように聞き続けることによって、(旧約聖書に書かれてあるメッセージの)本当の意味を聞くことができるのではないでしょうか」と述べた。
次回の考古学セミナーは12月5日(月)18時半にOCC416号室にて開催される。シリーズ第三回目、最終回となる次回のテーマは「預言者アモスと死者儀礼」で、旧約の時代における先祖崇拝の習慣について解説される予定である。詳細はTMBAホームページ(http://www.tmba-museum.jp/)まで。