大正・昭和期のキリスト教社会運動家として知られる賀川豊彦は、明治38年に明治学院高等部神学予科に入学し、当時洋書の蔵書数が国内一と言われた同学院で幅広い書物に触れ識見を広げた。また明治学院理事にも就任し、戦後の明治学院大学で講義を行い、同学院の生活協同組合の創立にも関わってきた。
賀川豊彦は、キリスト教の精神を土台にして生み出された市民社会を促進し、資本主義社会との衝突を克服するための活動を行い、労働運動、農民運動、平和運動などさまざまな社会運動に先駆的に関わった。とりわけ協同組合運動における社会改良運動を行うことで、人と人を結ぶ人格的・内面的価値に基づく精神的運動を促したことで有名である。
久世氏は、「市民が自分たちの力で連帯して互いに助け合う社会による福祉社会を生み出し、何もかも税金による支援に依存する社会としないために、格差社会による限度を超えた格差を生じないようにするためにも、地域協同体の互助システムが必要であり、そのような能力主義・資本主義経済に依存するだけでは解決できない問題を市民がそれぞれの助け合いで解決していくための精神的土台として、キリスト教教育が重要である」と述べた。現実に見えるものだけを見て判断すれば、まわりのミクロな情報の深刻さや、マスコミが報じる報道の影響力に惑わされるようになってしまうという。しかしキリスト教主義教育による「この世の上にあって、上から世界を見つめて行くという視点」が養われることで、初めて自立した思考を養うことができるようになると指摘した。
そもそも欧米で市民社会を形成した市民革命の背後には「プロテスタントキリスト教」という思想があった。市民社会は自由な個人の社会であり、「他人に依存せず自分の責任で生きて行く」という自律心がある。自由があるからといって勝手気ままをするのではなく、自由人として「隣人のために生きて行く」というキリスト教の精神に基づくモラルが自らを律する「二つの自律心」をもった個々人によって欧米市民社会が成り立ってきた。そのため「このような市民社会が、背後にあるプロテスタントキリスト教精神のような宗教抜きで、それが可能かということは大議論となる問題です」と述べた。歴史的に見ると、イギリス革命、フランス革命、アメリカ独立革命、という身分制の枠組みを取り払って「自由な個人」を正当化した市民革命は、プロテスタントキリスト教によって「二つの自律心」を身に付けた人々によって、自分たちが住みやすい社会を形成するということで市民社会が生み出され、それを妨げる勢力を打ち破っていった。
しかしながら、日本の場合は(市民社会の概念のない)江戸時代から一足飛びに資本主義、富国強兵政策に移ってしまったのが問題であったという。つまりプロテスタントキリスト教精神に基づく市民社会という枠組みがないままで資本主義経済が発達してしまったことが、日本社会の問題として残ってしまっているという。
第二次世界大戦の敗戦によって、占領軍が日本社会に市民社会としての枠組みをもたらしたものが日本国憲法である。久世氏は、「日本国憲法の下で育ちましたので、今の憲法の基本的人権の自由権というものが、どんな人間を必要としているかということについては実感があります。しかし結局それは、目に見えるものだけに捉われていると、結局何かに頼りたくなり、そうすると自律心が失われてしまいます。そして目に見えるものを追い求めると、人は競争相手にしか目が行かなくなり、同じ仲間を思う気持ちがどこかに失われてしまいます。目に見えないもの、何かこの世の上にあって上から自分のことを見つめているという目があるという意識がないと、自由な個人として生きて行くのは難しいのではないでしょうか」と述べた。
またキリスト教主義教育について、「キリスト教主義教育というのは、ただキリスト教がありがたい宗教、クリスチャンになったら救われるというだけではなく、市民として立派にこの社会の中である一定の役割を果たしながら生きていく、そういう人間を育てる教育です。(市民社会を形成する一員として)自律してやっていこうとするときに拠り所になる『目に見えないもの』を得たいというときに、示すことができるのがキリスト教であるといえるのではないでしょうか。ただの『信者教育』ではなく、市民社会の担い手としての人間を育てるの『人間教育』を施していくのが、キリスト教を標榜する学校の責任だと思っております」と述べた。
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明治学院学院長 久世了(くぜ・さとる)氏 略歴
1935年、東京に生まれる。東京大学経済学部卒業後、北海道新聞社を経て、北海道大学大学院経済学専攻を修了。1967年より明治学院大学経済学部教員として、学部長、副学長を歴任。1996年、学校法人明治学院学院長に就任し現在に至る。2005~2009年、わが国キリスト教主義諸学校が参加するキリスト教学校教育同盟理事長を務める。著書に、『現代日本を考える』『現代日本の経済社会』『暮らしの経済(共著)』ほか。
(取材 吉本幸恵)
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