~キリスト教は御利益宗教ではない~
聖書では、苦難を乗り越えた信仰者としてヨブが有名であるが、山形氏は「ヨブ記ではサタンが『宗教はあくまでも人のためにある。神も人のためにあるのであって、人が神のためにあるとか、神のために自分を犠牲にするということは、ありえない』という挑戦を投げかけており、自分のために祈る『御利益宗教』ではなくヨブが本当に神を信じ切ることができるのかが試されている」と指摘、「苦しみにおいてこそ、私たちの信仰、あるいは、宗教の本質が根底から問われてくる。私たちがキリスト教を信じているのは、いったい何のためなのか。ヨブの物語はそれを私たちに教えてくれている」と説明した。
またキリスト者がキリストを信じる理由についても、「天国に行ったら、すべての悩みや問題が解決されることを待ち望んで、地上生活において苦難を耐え抜く力と希望をもつことが、キリスト教を信じている根本的究極的理由なのではない。それでは本質的に御利益宗教となんら変わるところがない。世間一般が求めているこの世的幸福を、単に『時』と『場所』を天国に移して求めているにすぎない。キリスト教の中心はキリストであり、私たちが第一にキリスト教に、そして天国に求めているものは、単なる永遠の生命とか、不幸のないパラダイスとかいうものではなく、主イエス・キリストという生ける人格にほかならない。私たちがキリスト者になるということの意味は、以前は、神も含めて、全ての世界が自分中心に回っていたのが、キリストとの出会いを体験することによって、神中心の世界に変えられることにある」と説明した。
山形氏はキリスト教について御利益宗教に陥る危険性を指摘し、「確かに神に従うことによって祝福が得られる。それ自体は決して誤りではない。更に根本的な意味において、福音には人生の一切の問題に対する解決があることを私たちは知っている。しかし、それは単なるこの世的成功や祝福とは異なった次元での解決である。もし私たちが、キリスト教のこの世的御利益ばかりを強調すると、一つの落とし穴に陥る危険性がある。それはキリスト教、あるいは福音というものが、人生の成功のための手段と化していく危険性である」と警告した。
~真のキリスト者のあり方は『キリストの受難を分かち合う』ことにある~
山形氏は、真のキリスト者のあり方は「キリストの受難を分かち合う」ことによって、イエス・キリストの十字架における神の愛に触れる時、「服従という行為」はもはや律法主義的行為ではなく、高価な恵みに対する自発的応答となることを指摘し、第2次世界大戦中ナチスによって収容所で処刑された神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーの著書「キリストに従う」を紹介した。同書では「安価な恵みは、悔い改め抜きの赦しの宣教であり、教会戒規抜きの洗礼であり、罪の告白抜きの聖餐であり、個人的告解抜きの贖罪である。安価な恵みは、服従のない恵みであり、十字架のない恵みであり、生きた、人となり給うたイエス・キリスト不在の恵みである」とし、それに対し高価な恵みは「服従へと招くがゆえに高価であり、イエス・キリストに対する服従へと招くがゆえに恵みである。それは人間の生命を懸けるに値打ちがするゆえに高価であり、またそうすることによって人間に初めて生命を送り物として与えられるがゆえに恵みである。それは罪を罰するがゆえに高価であり、罪人を義とするがゆえに恵みである。高価な恵みとは神の受肉である」ことが書かれている。
~「見えるもの」から「見えないもの」へ~
山形氏は、苦難の中でイエス・キリストの十字架の苦しみを共にしてきた証人たちの生から、キリスト者が見るべきものは「見えるものではなく見えないものに目を注ぐことにある」と説明した。神様の御心について「神が私たちを取り扱われる方法は、私たちの限られた頭脳では理解できないことが多い。むしろ私たちの意思に逆らって行われることの方が多いのではなかろうか。ある時は、むしろキリスト者なるがゆえに多くの苦しみを受けねばならないことすらある。ゆえに、私たちキリスト者の態度は決して『見ること』であってはならない。見ることではなくて信じることでなければならない。なぜなら『私たちは見えるものによらないで、信仰によって歩いているからである(Ⅱコリント5・7)。』信仰の目をもって世界をそして歴史を見るときに、私たちはそこに『隠されたる神』の導きのみ手を見出すのである」と説明した。
また、キリスト者の人生は、まさに神の御心を求めて歩む人生であることについて、「『隠されたる神』は有限な人間には理解できないことが多い。しかし、たとえ全てを理解できなくても、苦難を耐え得るだけの十分な助けと支えが与えられていることを、神は聖書を通して私たちに約束されている。そして、これらの苦難の謎は、全能なる神の御手の中にあっては、すでに解き明かされ解答を与えられているのである。ゆえに私たちクリスチャンは、全能にして愛なる神を信頼して『見えるものにではなく、見えないものに目を注いで』歩むのである。神を信じるとは、愛なる神の信実を信じることである。そして自分の意思や計画ではなく、ひたすら神の御心を求めて歩むことである」と説明した。
ホスピスの現場、終末医療現場に長年携わってきたクリスチャン医師である山形氏は、「人間の死と向き合う医療」のあり方について、「信仰がないと死に恐怖を感じるようになる。アメリカは宗教に平等に優しい国である一方、日本は宗教に平等に冷たいことが懸念される。患者中心の医療を行い、ホスピスのケアの心をいかに一般病棟まで広げて行くかが日本の大きな課題であると思う」と述べた。
東京バプテスト神学校では、12月19日、20日にも「神学特講:苦難の意味B」と題して同校茗荷谷教室で同じく山形氏による冬期公開講座が夏期と同じく同校学生、聴講生、通信受講生向けに行われる。詳細はホームページまで。
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山形謙二氏 略歴
1946年、東京都生まれ。東京大学理学部卒、米国ロマリンダ大学医学部卒、現在、神戸アドベンチスト病院院長。
<著書>
「人間らしく死ぬということ」(海竜社)、「隠されたる神:苦難の意味」(キリスト新聞社)「負わされた十字架:逆境の中で」(キリスト新社)、「いのちをみつめて:医療と福音」(キリスト新聞社)、「主よ、み国を!」(福音社)、「聖書・基礎講座Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」(VOPジャパン)など多数。
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