〜祈りによって神様から力を受けることが大切〜
ムーイ師: 私たちは私たち自身の強さや人間的な能力でできることは限られていることを知っています。被災地の必要を全て満たすことは決してできません。貧しい中にある人たちの必要のために、応えていかなければなりませんが、私たちにできることは限られています。
被災地でキリスト者がボランティアする際にもっとも重要なことは、神様にとって最も重要であることを優先して行うことです。クリスチャンのボランティアは、神様が彼らの働き、彼らの犠牲を覚え祝福してくださいます。しかしその前に、私たちを祝福するために、神様の御心を受け取ってほしいと願われております。
ですから祈りの時間を大切にし、決して他の作業のために祈りの時間を犠牲にすることなく、十分な時間を祈りの時間として捧げ、神様から強さを受け取ってください。イザヤ40章31節には「主を待ち望む者は新しく力を得、走ってもたゆまず、歩いても疲れない」と書かれてあります。ですからクリスチャンのボランティアは世の中のボランティア団体とは視点が異なっている必要があります。
神様の焦点と一致させて働きを行っていかなければなりません。私たちの備えはすべて神様からもたらされ、私たちの行いも神様からその行いを示されるのです。そうであるからこそ、神様が私たちに強さを与えてくださり、神様が私たちを助けてくださるのです。神様は人間の力で行って1時間かかる作業を30分で行えるようにしてくださいます。そのようにして神様の助けに支えられながら、神様に仕えていく生き方を学んでいくことになります。イエス・キリストは神様から託された宣教活動を三年半で行われました。しかしその三年半の間に、無駄な時間を生じさせず、神様の導きに従ってただ父のなさることを行い(ヨハネ14・10)、イエス様の生涯でなすべきことを神様の御業に焦点を当てて、最大限に神様の御業を行うために効率よく働くことができるように自身を父なる神に捧げて生きました。
CT:ヒーリング・セミナーでは肉体的な病から癒される奇跡が生じ、毎年多くの参加者が驚くべき恵みを受けていますが、キリスト者としての私たちの本題は、「どのようにすれば神様がその人物を『尊い器』として用いることができるほど心が聖(きよ)くなれるか」にあると思います(Ⅱテモテ2・21)。そして自分の肉的な姿と霊的な姿の葛藤に苦しみながらも、心を聖めようと多くのクリスチャンが試行錯誤していると思います(ローマ8・19-25)。この様な葛藤に苦しむ多くのクリスチャンたちに対して何かアドバイスをいただけますか?
〜「人格」を形成するのは自己の責任、「カリスマ」は神様から与えられるもの〜
ムーイ師:イエス様は「尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません(マルコ10・18)」と言われています。神様は私たちすべてが決して完全ではない存在であることをご存知です。ですからキリスト者それぞれの質的成長を考えるときに、まず第一に理解しておかなければならないことは、どんなキリスト者であれ完全な人はいないということです。ただ神様の恵みと憐れみによって、神様は私たちを使われるのです。
第二に、神様ご自身が私たちを選ばれ油を注がれないかぎり、私たちは神様に用いられるようにはなりません。個人個人の「聖さ」「純潔さ」といった人格を構成するものと、神様からの賜物であり御力の現れである「カリスマ」は異なるものです。人格の形成は救われたキリスト者それぞれが責任をもって形成していくべきものであり、個々人がそれぞれの人格をより聖いものへと変化させていくにあたって、神様がその責任を問われるようなものではありません。一方「カリスマ」とは、霊的な賜物であり、人を癒す力であるとか、信仰による奇跡を起こす力というものは、神様から来るものです。自分で努力して成すことができるようなものではありません。
しかし「聖さ」や「純潔な心」をもつことは、私たちそれぞれが責任をもってそのような心をもつように取り組んでいかなければならないことです。そのような聖い心をもった生き方をするために代価を払い、犠牲していく十分な価値のあるものです。ですから人間の人格というものはキリスト者となったからといって一夜にして変わるようなものではありません。日々の訓練が必要であり、あきらめずそのような人格を持てるように日々追求していくことで、そのような問題をやがて克服していくことができるようになっていくでしょう。
教会指導者であれば、信仰の訓練をしていくときに、すぐにその人の心が変わることを期待せず、継続的に教えていくことで徐々に変化していくことを忍耐強く待つ必要があります。どのように訓練していくのかは、ヨハネ福音書17章に書かれてあるように、「真理によって彼らの心を聖め別ってください。私たちが神様の御言葉の奥義を知ることができるようにしてください」と祈り求めていく必要があるでしょう。
〜心は神の御言葉によって聖められる〜
私は本当に教会が発展していくためには、主日以外の日にも教会員が教会に来て、共に聖書を学ぶようになっていかなければならないと思っています。そして教会員それぞれが、より深く神様の御言葉を身近に感じられるようになっていかなければならないと思います。そして教える指導者たちは、さらに神様の御言葉から心の強さを受け取っていかなければなりません。なぜなら、自分自身が受け取れていないものを他人に教えることはできないからです。まず神様の御言葉を自身の一部になるようにすることでこそ、その人が他の人に御言葉を教えることができるようになっていきます。
人の心は、神様の御言葉によって聖められる必要があります。第Ⅱテモテの手紙3章16-17節に「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」と書かれてあるとおりです。ですから、神様の御言葉によって人が正されるようになるとき、その人は神にとって有益な存在となり、良い実りを結ぶようになると言えるでしょう。私自身も神様の御言葉を受け入れることでより心が満たされ、恵みを受け、神様が私を気遣ってくださっておられることを良く感じることができます。Ⅱテモテ3章16節では「神の御言葉が人を矯正する」ことが書かれていますが、そのような「矯正」を可能とするのは人の教えや力ではなく、神様の力であり神様の御言葉によってのみ可能となることです。神の御言葉によってどのように心が「矯正」されていくことができるのかを良く学んでいかなければなりません。より多くの時間を神様の御言葉を黙想することに費やし、行いや言葉の中により多くの神様の御言葉を取りれるようにしていくことで、私たちの心が聖くなっていくといえるでしょう。
(インタビュア 吉本幸恵)
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レイモンド・ムーイ氏 プロフィール
マレーシア生まれ。生後まもなく親に捨てられ、孤児院で育つ。アメリカの神学校卒業後牧師となる。マレーシアで神学校「School of ACTS」を設立。瞬く間に東南アジア5カ国へと拡大し、毎年500名以上の卒業生を世界各国に送り出している。アジア各国で数千、数万人の大集会を開催し、驚くべき癒しの奇跡が起こされている。総合大学「Life College」を創立、同大学理事長。