1963年8月28日、ワシントンDCのリンカーン記念碑前において「私には夢がある」と演説するキング牧師=AP | |
米国では、毎年1月第3月曜日を故マルティン・ルター・キング牧師の誕生を祝うための祝日としている。キング牧師は黒人差別撤廃運動に全力を尽くし、1963年ワシントンリンカーン記念碑前で「私には夢がある」と演説したことで特に有名である。今から37年以上前に、キング牧師はテネシー州メンフィスにおいて行進を準備している最中に暗殺されたが、現在世界中の人々がキング牧師の人種差別のない希望、平和、団結に向けての力強いメッセージを記憶にとどめている。
今月15日と16日の2日間、非暴力、人種差別撤廃のために活躍したキング牧師をたたえる催しが米国中で催されている。マルティン・ルター牧師は生きていれば今年77歳の誕生日を迎えることになる。
キング牧師はアメリカ市民権運動での活躍でもっとも知られているが、牧師としてはじめてノーベル平和賞を受賞した人物でもある。
「宗教は私にとって現実であり、私の人生に密接に関わっている。事実、宗教と人生は分離することができない。私にとっての宗教は命である。」1950年11月に書かれたキング牧師による一文である。
キング牧師は25歳でボストン大学の博士課程を修了。1954年、教会指導者たちが活力ある助け手を求めていた信徒集会の終了後、キング牧師はアラバマ州モントゴメリーにおいて牧師に就任した。その後、モントゴメリーの女性裁縫師がバス車内で白人に席を譲らなかったことが原因で警察に逮捕された事件をきっかけに、モントゴメリーでバスボイコット運動を促進。この運動をきっかけに米国最高裁は州内バス車内における人種差別法を無効化した。その後もキング牧師は南部教会指導者会議(SCLC)設立に貢献。SCLCは非暴力市民権改革運動を行う黒人教会の力を結集させ、道徳問題について、警告を与える組織となった。
キング牧師は単なる地元牧師の枠を打ち破り、人々を説教し、人々の必要性に答え、さらに米国中の魂を救い出すことに非常に熱心であり、国家的に賞賛される牧師であった。
10年以上もの間、キング牧師は黒人人権運動を指揮し、差別廃止、労働権、その他基本的人権のために戦った。それらの権利のほとんどは米国における1964年市民権法令、1965年投票権法令によって有効化された。
キング牧師はアメリカ市民権運動を1968年4月、テネシー州メンフィスで地元行進を準備しているさなかに暗殺された。その4日後、当時の米国大統領リンドン・B・ジョンソンにより、市民権指導者を失った国家的哀悼の辞が述べられた。現在では世界中にその名が知られており、米国では多くの人々が1月15日と16日の両日にわたって彼の功績をたたえ、彼の死を哀悼している。