江戸時代、幕府の激しい弾圧の中で密かに信仰を保ったキリスト者たちの中で、潜伏中に本来の信仰理解からかけ離れたために、カトリックに復帰できず今なお独自の信仰様式を継承している人々がいる。現在は過疎や高齢化によって人口は減少しているが、現在も「カクレキリシタン」(「離れキリシタン」とも)との名称で、長崎県西部沖の五島列島、長崎市の一部の地域で信仰が伝承されている。
音楽学者の皆川達夫さんは、彼らが脈々と唱えてきた口承祈祷「オラショ」の調査と考証を重ねてきた。「オラショ」とは、ラテン語の「オラツィオ(祈り)」に由来。唱え言葉のオラショと、旋律をもった歌オラショの2種類に分類される。
皆川さんは、伝承者たちが中国語と思いながら唱える音の響きに、なんとラテン語を発見。「だおて、どみーの、おーね、ぜんて」は、「ラウダテ・ドミヌム・オムネス・ジェンテ(すべての国よ、主を賛美せよ)」ではないか、などと推測していった。
16,17世紀に欧州から日本に伝来したラテン語聖歌で実在する、典礼書「サカラメンタ提要」(上智大学吉利支丹文庫と東洋文庫蔵、1605年に長崎で印刷)、「耶蘇教写経(キリシタン・マリア典礼書写本)」(東京国立博物館蔵)などから、歌オラショの対応曲を割り出していった。
彼らが「ぐるりよざ」と呼ぶ歌オラショの原曲探しにあたっては、欧州数箇所の図書館を巡ったがなかなか見つからず「失意の日々」が続いたという。その原曲、16世紀のイベリア系ローカル聖歌「オー・グロリオザ・ドミナ(栄えある聖母よ)」が見つかったのは、82年秋、スペイン・マドリード国立図書館でのことだった。原曲を手にした皆川さんの手は震えていた。
今回、その研究成果を集大成したCD・DVD版「洋楽渡来航」(4枚組み、日本伝統文化復興財団)は、生月島のオラショと、国内の典礼書の譜面などを解読・復曲して演奏した聖歌を収録。04年に皆川さんが出した同名の研究書(日本キリスト教団出版局刊)と合わせてみると、オラショをめぐる洋楽流入のあらましが一望できるようになっている。
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九州北西部沖に浮かぶ生月島。そこには、今もオラショを伝えるために数軒で構成される組がある。10年前は21組あったが、現在は6組だけが残った。65年には「長崎『かくれキリシタン』習俗」として、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されたが、定期的な補助金は出ない。伝承者に話しを聞くと、組の維持は難しいという。
だが、「継承の誇りは今後、強まっていく」との声も。調査のためこの島を通い詰めた皆川さんは、「この島には、確かに今でも厚い信仰心を抱いて真摯に生きる人間の姿がある」と話す。今回の作品で、庶民がキリスト教宣教師に教わり、血肉化した「祈りの言葉と音楽」伝承の精神を伝える。