日本エキュメニカル協会(理事長:松山與志雄氏)は29日、第17回「エキュメニズムの日」の集いを日本基督教団信濃町教会礼拝堂で開催した。本年度のエキュメニカル功労章は「難民・移住労働者問題キリスト教連絡会(難キ連)」代表・事務局長を務める佐藤直子氏に授与された。
佐藤氏は1989年から難民問題に対処し、対策・支援を長期間にわたって行い続けてきた。89年には難民船の西日本への漂着をめぐる排外キャンペーンが行われており、この問題との取り組みを市民レベルだけでなく、教会に広げ深めたいとの願いから難キ連が発足された。
難民というと、不法滞在者であり犯罪者であるという負のイメージで捉えるのではなく、日本と故国の架け橋となるべく人材という認識を持つ社会を推進する教派を超えた団体として、設立以来在日外国人の人権のために活動を続け、現在は面会支援を通して入管処遇問題まで活動範囲を広げ、在日難民・移住労働者とその家族の生活を守るべく、多民族多文化共生社会の実現を目指して活動しており、入管収容者支援超教派ネットワーク事務局の役割も担っている。
日本に難民として収容される人々はそれぞれ帰国に困難な複雑な事情を抱えており、2010年2月には東日本入管センター内で被収容者が自殺、3月には西日本入管センターで、ハンガーストライキ、東日本入管センターから強制送還中のガーナ人が死亡するなど、入管内での事件は枚挙に暇がない状況となっている。
難民申請者の就労についても、日本は他先進各国に比べ厳しい基準を設けており、難民申請中は原則就労ができない。また難民申請前は住居・医療・支援金の公的支援もなく、一時審査中の平均10カ月の間のみ、住居・医療・支援金の公的支援が受けられるものの、その後異議申立・裁判と続く場合は一切支援がない状態に戻される。
2010年度の難民申請者は1202人で、難民認定者は39人、人道配慮の在留特別許可は363人であった。不認定となった申請者は不法滞在者として、日本の社会保障の枠組みから阻害され、国民健康保険にも入れず、就労もできない。特に母国の迫害を逃れて日本にやってきた難民申請者は、強制送還の不安におびえ、困窮を余儀なくされているという。
佐藤氏は、「難キ連では、エキュメニズムな働きを通して誰もが住みやすく、居心地のよい多民族多文化共生社会を目指し、円滑な支援機能の連帯と諸教会、諸団体との協働を続けていき、遠来の友のためにパンを求めて扉をたたき続ける人(ルカ11章5-8)でありたい」と述べている。
同協会江藤直純理事は、佐藤氏の受賞についてお祝いの言葉を述べ、難民の受け入れを助けることで諸教会のバックグラウンドが異なっていても難民支援という奉仕で一致することができ、キリスト者が共に力を合わせていくネットワークが長年の難民支援を通して形成されてきたことを称賛した。また旧約聖書のレビ記、新約聖書マタイ25章などにキリスト者が難民を助けるべき理由が良く書かれていることを指摘した。
日本でも今年東日本大震災が生じ、大きな被害が生じた。世界中から祈りや支援物資、さらには海外の人々による医療活動などの高度な支援活動も行われている。江藤氏は「日本はもはや日本人だけのものではない」という感覚が東日本大震災による支援活動の輪を通じて日本国民にもよく伝わるようになってきたのではないかと指摘した。
レビ記19章33-34節には、「もしあなたがたの国に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。あなたがたといっしょの在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい。あなたがたもかつてエジプトの地では在留異国人だったからである。わたしはあなたがたの神、主である」、23章22節には「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である」と書かれてある。またマタイ25章には、すべての国々の民が主の御前に集められて、民が二つに分けられる場面について、「『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』」と書かれている。
多民族多文化共生社会への取り組みが、聖書の御言葉を土台とし、超教派によるキリスト教ネットワーク活動が促進されることで活発化し、日本政府がグローバル社会に適した難民受け入れ体制へと変化していくようにキリストの御言葉の下に一致した愛による働きかけがなされることが期待される。