・・・ペテロは、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。・・・アイネヤという人に出会った。彼は中風であった。・・・「・・・イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。・・・」すると彼はただちに立ち上がった。・・・ヨッパにタビタという女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。ところが、そのころ彼女は病気になって死に、・・・ペテロは「タビタ。起きなさい。」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。・・・このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。(使徒の働き9章31節〜43節)
国会では衆議院で子ども手当てが可決され、参議院での議決を求め、4月から1人あたり、月々1万3千円ずつ支給されるということです。でも、本当にそれで良いのでしょうか。今、国も借金をかかえて大変な上、財源もなく、年間2兆、3兆というお金ですし、この後、満額支給されると5兆、6兆にもなります。子どもがいる間は、お金を使うことに慣れ、子どもが巣立つとお金が足りなくなるとか、ローンを組んでいると後で大変になるとか、もらうことに慣れてしまうと大変だと思うのです。
聖書ははっきりと、受けるよりも与えるほうが幸いである、と語ります。愛情ということを考えても、愛されることを求めるだけでは私たちは成長できません。愛するようになって、私たちの人生は広がっていくのです。世の中の流行は、その場限りの都合のいいものばかりを求めますが、私たちは単に目先の小さな出来事ではなく、信仰によって私たちの人生全体が大きな流れの中にあることを忘れてはいけません。神の愛と恵みの流れの中で着実に成長していく者となろうではありませんか。
今日開いた聖書には、使徒たちの働きによって生み出された教会が、どれだけ大きな力強い働きをしていったかが描かれています。31節には、教会が、ユダヤ地方からガリラヤ地方、サマリヤ地方へと、どんどん広がっていって、聖霊の働きがあり、主への恐れがあり、素晴らしい恵みが現わされて信徒の数が増えていった、と書かれています。そのような大きな物語の中の出来事として、この後32節からのルダでの物語、36節からのヨッパでの物語となっていくのです。
1.教会の伝道の働きの中での癒やし
ペテロは、主イエスの福音を語る働きで各地を巡回しており、このルダという町にもやってきたのでした。アイネヤは、8年間、体が麻痺して動けない中風で苦しんでいました。そのつらい病気から癒やされたのも教会の伝道の働きの中での出来事だったことを見逃してはなりません。そして、アイネヤが癒やされた時、どうなったでしょう。ルダ、サロン、その周囲の町々にいる人々は皆、主に立ち返り、主イエス・キリストを信じて、教会の伝道の働きの中で救われていったのです。
確かにここで癒やされたのは1人の人です。しかし、教会の働きの中で更に多くの人々が主イエスを信じるようになったのです。初代教会での癒やし、様々な奇跡は、教会の働きの中にあり、偉大な聖霊の流れの中に置かれていました。そして癒やしの御業や様々な奇跡が起こる中で、いよいよ人々はイエスを信じるようになり、初代教会は成長していったのです。
2.愛の業、施しの業の中に位置づけられる癒やし
タビタという女性の癒やしは、タビタの愛の業、施しの業の中に位置づけられるということを知りたいと思います。
ペテロがヨッパに着いた時には、人々は泣いていて、このタビタの体はもう葬式のためにきれいに洗われて屋上に置かれていました。未亡人たちは、「私たち身寄りのない者にまで、こんなに服をわざわざ作ってくれました」と、泣きながらペテロにタビタの愛の業を証ししたというのです。36節には、タビタは女性でしたが、特別に「女の弟子」と呼ばれるほどの信仰者だったと書かれています。この後、死んでいたタビタが生き返るというすさまじい奇跡が、ペテロによって行われます。
そして、やはりここでも、彼女の癒やしがただ個人的な出来事で終わったのではなく、ヨッパという町中に知れ渡り、更に多くの人々が主イエスを信じたのです。
教会の中には聖霊の命があふれているので、病んでいる人々は癒やされ、私たちの人間の力を超える神の奇跡さえ起こるのです。私たちが癒やされることによって、さらに多くの人々がイエスに立ち返り、イエスを救い主と信じていきます。あなたが癒やされることもまた、神の大きな祝福の流れの中で用いられていきます。私たちの受ける癒やし、奇跡は、神の広い視野の中で単に自分ひとりの恵みにとどまらず、多くの人々に恵みをもたらすものとなるのです。あなたもこの教会の働きの中で癒やされようではありませんか。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。