<進化論は真っ赤な嘘>
ところで、日本ではダーウィンの「進化論」が絶対的な科学的真理としてまかり通っていますが、実は、これは真っ赤な嘘なのです。
「えっ!そんな馬鹿な!」。日本人なら誰でもそう思いますよね。私もその一人でした。私の場合、「進化論と聖書の記述はあまりにもかけはなれている。だから、聖書は信じられない」と考えていました。
オーストラリア留学中に、学内でとても親切でまじめなクリスチャンの学生と知り合いました。彼は生物化学のドクターコースで学んでいました。私は彼に自分の思いを打ち明けました。「聖書はすばらしいけれども、神が万物を創造したという記述は、進化論に反するのでどうしても信じられない。あなたは生物化学の専門家なのに、どうして聖書を神の過ちのない書物として信じられるのですか?」
「私は生物化学の専門家として、進化論は間違った仮説であると信じています。私の学科の教授たちで、進化論を正しいと思っている学者はほとんどいません」
穏やかに確信を持って、こう答えるではありませんか!まさに青天の霹靂でした。非常にショックを受けた私は、その後自分なりに調べていくうちに、進化論が完全に間違った仮説であることを知ることができました。
人間は「科学的真理」だと言われるといとも簡単に信じてしまいます。「科学」とは、人の思いつきや単なる仮説を、外部的な証拠やデータによって、恒久的な法則や普遍的な真理にしようとする学問です。しかし、いくら証拠を集め、どんなにたくさんのデータをもって理屈をつけ、理論を構築してみても、初めの思いつきや仮説が間違っていれば、その思いつきや仮説は永遠に間違いなのです。まさに、「進化論」もその一つです。
なにしろ、ダーウィン自身が、臨終を前にしてキリストを信じる告白をした時に、「私の唱えた進化論は、子どもだましの思いつきにすぎなかった」と告白して、その間違いを認めたと言われています。
「一匹のアメーバのような単細胞生物がこの地球上に突然生まれて、何億年か何十億年の間に突然変異を繰り返して進化を続け、人間になったのだ」。こう思いついたダーウィンは、証拠を集めているうちにそれらしき理屈が成り立ってきました。それは絵を描いて説明できるため、一般の人々には非常にわかりやすく、あっという間に「科学的真理」として世界中に受け入れられてしまいました。そして、後世の進化論者たちは、これでもかこれでもかと証拠を集めて、理論付けをしてきたのです。
ところが、最近になって、「進化論」にはさまざまな無理、矛盾、捏造があることが判明し、今やこれは「間違った仮説」として世界中から葬り去られようとしています。突然変異の起きる確率論、化石の年代測定法、地層学、地球物理学、海洋学、天文学、生物学、生物化学、遺伝子工学、骨相学、その他のあらゆる学問分野において、「進化論は真っ赤な嘘だ」として退けられているのです。
例えば、一人の人間の体内にある血管を全部つなぐと、地球を2周以上するほどの長さになります。全部の遺伝子をつなぐと、なんと、地球から月に行って戻ってくるほどの長さになるそうです。何億兆年かかっても、突然変異の繰り返しによって、このようなことが起きる確率は、確率論からみて「ゼロ」です。
逆に、聖書に書かれているように、人間を含めたあらゆる生物や無生物は、それぞれ初めから全知全能の神によりデザインされて創造されたものであることが立証されつつあります。ダーウィンの「進化論」に対して、これを聖書の「創造論」と言います。私はぜひとも、この「創造論」を日本に普及していきたいと思っています。
刑事事件によくあることですが、ある程度の証拠に基づいて「犯人」として疑われたら最後、警察、マスコミ等が、よってたかって「真犯人」に仕立て上げてしまいます。こんな証拠もある、あんな証言もあると、次々に新しい証拠や証言を集めてつなぎ合わせると、ゆるぎない「真犯人」ができあがってしまうのです。裁判官も人間ですから、たくさんの証拠や証言によって判断して、「有罪判決」を出してしまうことがあります。
しかし、本人が本当に無実なら、どんな証拠や証言を並べ立てても、たとえ最高裁の有罪判決が確定しても、「無実」という真理は絶対に変わることはないのです。
マルクスの「資本論」とエンゲルスの「共産党宣言」に基づく「科学的社会主義」を絶対的真理として信奉した人々によって、共産主義が世界を制覇する勢いでしたが、今では衰退しています。
「日本は神国だ。天皇は生けるまことの神である。だから、神国日本は絶対に戦争に負けることはない」。絶対的真理としてこう教え込まれ、信じ込まされて、日本は第二次世界大戦に突入しましたが、あえなく惨敗。天皇は「人間宣言」をしました。
科学の分野では、もっといい加減なやり方で「科学的真理」なるものが、毎日のように作り出されていますが、「虚偽」はいくら理屈を付けても虚偽です。その典型的な例が、「進化論」なのです。
「進化論」の根底は、「無神論」です。よくわからないけど、生命は突然発生した。「弱肉強食」の歴史をたどって、強い種類が生き残ってきた。「人はなぜ生まれたのかわからない。とにかく、生きていくほかない。強いものが弱いものを犠牲にして生きざるをえない。これが人生だ。死んだらどうなるかもわからない」。このように、「進化論」の価値観には、生きる意味はなく、生きる希望もわいてきません。
しかし、「創造論」の価値観には、後で説明しますが、「人は神に愛されるために神によって造られた。それは、人々がお互いに愛し合って生きるためだ。神とともに永遠に楽しく喜んで生きるためだ」というすばらしい意味と、とてつもない希望があります。
「進化論」を絶対的真理として教え込まれている日本人に「生きる意味」と「生きる希望」がないのは、当然のことです。けれども、「創造論」を信じるならば、「生きるすばらしい意味」と「生きるとてつもない希望」を持つことができるのです。
(次回へ続く)
佐々木満男(ささき・みつお):国際弁護士。宇宙開発、M&A、特許紛争、独禁法事件などなどさまざまな国際的ビジネスにかかわる法律問題に取り組む。また、顧問会社・顧問団体の役員を兼任する。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。このコラムでは、2004年11月6日のインターナショナルVIPクラブ広島特別講演会での講演録を再構成し、一部加筆したものを紹介する。