摂理とすぐれた知性とはわたしのもの。わたしは分別であって、わたしには力がある。わたしによって、王たちは治め、君主たちは正義を制定する。わたしによって、支配者たちは支配する。高貴な人たちはすべて正義のさばきつかさ。(箴言8:14〜16)
信じられないことに、古代縄文人は地球規模で移動し、世界各地の文明発祥に影響を与えました。まさに、グローバリズム精神の先駆けといえます。
太平の眠りから醒めた近代日本は、西欧文明の荒波にのみ込まれました。しかし、そのような社会情勢の中で、明治のクリスチャンたちは独自性を保ち、確固たる信念を持ち、揺るがない信仰に生きていました。
その代表格が新渡戸稲造であり、内村鑑三です。英文で記された新渡戸の『武士道』、内村の『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』は、世界の指導者の愛読書となりました。
世界の歴史を見るときに、不可解に思うこと、納得がいかないこともありますが、舞台裏で暗躍する人々や巨大資本の流れを見ることで、ヒントが示されます。米国の南北戦争は、歴史の教科書では奴隷解放のために行われたと書いてあります。実際は、南部と北部の経済支配の争奪ではないかと思います。南軍も北軍も、ユダヤ系資本家から軍資金を借りています。
国内戦争のために米国は疲弊し、経済再建が急務になっていました。そこで米国のアジア進出が模索されます。ちょうどその頃にジョン万次郎が漂流し、米国の捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されるのです。
彼はホイットフィールド船長の養子となり、米国の大学にも行かせてもらいます。この船長は、ロスチャイルド家の親戚だといわれます。何と、ジョン万次郎は財閥ファミリーの一員になったのです。日本に開国を求めたペリーも親戚だといわれます。ジョン万次郎から得た日本に関する情報が、ペリーの来航に役立ったであろうことは間違いありません。
ペリー来航により日本は開国し、日米修好通商条約が結ばれますが、金と銀は当時の国内レートで固定し、海外相場によって変動しないという不平等条約でした。当時の日本の金と銀は、海外相場よりかなり安かったのです。米国は金と銀を欧州に売り込み、莫大(ばくだい)な利益を得ました。この資金で南北戦争の戦費を支払い、アラスカをロシアから買い取る費用にもなったといわれます。
1871(明治4)年、岩倉具視使節団が横浜を出港し、サンフランシスコに渡ります。そして米大陸を横断し、ワシントンに向かいます。大統領に謁見し、米国に8カ月滞在します。欧州では英国女王に謁見し、各国の要人と面談しています。
ここで疑問が生まれます。成立して間もない弱小政府の使節が、どうして各国の首脳や要人に簡単に会うことができたのでしょうか。誰かが手引きしていたとしか思えないのではないでしょうか。
使節団には木戸孝允や大久保利通など政府の重鎮、付き人、通訳、留学生など総勢150人がいました。1年10カ月かけて旅行するわけですが、行く先々で一流のホテルに滞在しました。莫大な費用がかかったはずです。そのお金はどこから来たのでしょうか。誰かが立て替えたはずです。
使節団が米国と欧州を巡っている間に、1872(明治5)年に新橋と横浜間に鉄道が開通しました。この鉄道事業には、ロスチャイルド家が融資しています。このことから、使節団は外国財閥の丸抱えだったのではないかと推測してもおかしくないはずです。長期間の旅行の間に、財閥の意向に沿うようにレクチャーがあったのではないかと推測してもいいのではないでしょうか。
使節団に参加していた政府の要人と、留守政府を代表する西郷隆盛との間に衝突が起こりました。表向きは征韓論となっていますが、真意は違うのではないでしょうか。財閥に恩義を感じ、その意向に沿っていこうとする一団と、あくまでも日本の自主性を押し通そうとする西郷のせめぎ合いだったのではないかと思います。
西南戦争の後で、文明開化と富国強兵を看板にして軍国主義に走り、戦争に明け暮れる50年を送ることになった日本の背景を、洞察してみてもいいのではないでしょうか。一般民衆の生活よりも巨大資本に寄り添う政治が行われていたと思います。
グローバリゼーションが叫ばれ、国際化の中でどのように生き残りを考えるかというとき、日本の自主的な独立が必要であることは言うまでもありません。外国政府の顔色をうかがい、言いなりになってしまう植民地主義から脱していかなければならないと思います。
そのためには、明治の気骨ある信仰者に学ぶ必要があります。巨大資本にまみれていなかった西郷隆盛は、政界を下野し、中央政府に不満を持つ同志に担がれ、城山で討ち死にしますが、そのモットーは「子孫に美田を残さず」でした。今の時代に立つべき理想の政治家は、西郷のように欲に目がくらまず、裏金とは縁のない人です。しかし、現実には難しいことかもしれません。
世界各地で紛争が絶えず、民族と民族のせめぎ合い、国家間の衝突が問題のように取り上げられていますが、経済界の思惑、武器商人の魂胆、財閥の意向がからまっているように見えるのは私だけでしょうか。世界の動向の中で、個人の無力さが浮き上がってしまうようですが、決してそんなことはありません。神は小さな者の声を聞き届けてくださり、導いてくださるのです。歴史の真の支配者は、主なる神ご自身なのです。
神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。(使徒17:26〜28)
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