「イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです』」(ヨハネ9:3)
2人の少年がブドウを食べていました。一人が「甘くておいしいネ」と言うと、もう一人は「でも種がいっぱいで面倒だネ」と答えました。
2人は庭に出ました。一人が「見て!何てきれいなバラの花なんだ!」と言うと、もう一人は「でもトゲだらけだ」と言いました。
その日は暑かったので、2人はジュースを飲みました。半分ほど飲んだところで、一人が「まだ半分も残っているよ」と言うと、もう一人は「ボクのはもう半分しかない」と文句を言いました。
2人の少年は同じものを食べて、見て、飲みましたが、その見方や感じ方は全く正反対です。何がこの違いを生み出したのでしょうか。それは物を見る心の態度、心の視点が異なっているからです。イエス・キリストは人生の不条理に対する新しい視点、新しい物の見方について教えてくださいます。
イエスと弟子たちご一行様が旅をしていました。その途中でイエスは、道端で物乞いをしている「生まれつきの盲人」を見ました。イエスはただ黙って見ていたので、弟子たちは弟子として、ここで一つ気の利いた質問をしなければと思ったのでしょう。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」
ユダヤ人たちは、人に何か不幸なことが起こると「これは何のせいだろうか」と思い当たる節をいろいろと詮索したのです。しかし、このような考え方は、私たち日本人の中にも見られるものです。悪いことが起こると「これは何かのたたりじゃないのか」と恐れたり、不安になったりするのです。
作家の三浦綾子さんが1946(昭和21)年の春に肺結核の熱で倒れたとき、すぐにある宗教の人が来て言ったそうです。「肺結核とライ病は天刑病と言って、これは神様が与えた天罰です。特に肺の病はハイハイと人の言うことを素直に聞かない人がかかるのです」。ですから皆さんも気を付けてください。十分可能性があります(もしそれが本当なら)。
当時のユダヤ教のパリサイ派の神学では、赤ん坊が胎内にいるときにも罪を犯すことができると考えられていました。例えば、悪意をもって母親のお腹を蹴飛ばすなら、それは罪を犯すことになり、その赤ん坊は盲目で生まれるとされていました。
さて、弟子たちに「誰の罪ですか」と問われたイエスは、何と答えたのでしょうか。「イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです』」。弟子たちへのイエスの答えは、それまでの常識を全く覆すものでした。この言葉を聞いた盲人の驚きと喜びは、どんなものだったでしょうか!
内藤俊宏さんは、脳性麻痺を持って生まれてきました。「私はこの御言葉を通して180度転換の新しい希望に満ちた人生を神様から頂きました。自らの障害の故に世の人々からは ”先祖のたたりだ” とか ”因果応報だ” とかいった身も凍りつくような絶望的な言葉をいくたび投げつけられたことでしょう。この冷酷な言葉は4人兄弟のうちで、この私だけが重い障害を負わされたという不合理な事実に対して何ひとつ解決を与えてくれなかったばかりか、かえって生きることに対しての罵(ののし)りと反発心を骨の髄まで植え付けただけでした。そんな私にヨハネ9章は『恵み』そのものでした」
内藤さんはこのヨハネ9章を読み、信仰に導かれ、その後牧師になり、多くの苦難を持つ人々をキリストの救いへと導いてこられました。「神のわざが現れるためなり」というイエスの言葉は、今つらい立場に立っている方々にはすぐに納得できるものではないかもしれません。しかし、この言葉を心のどこかに納めておいてください。やがてその言葉に聖書のいのちが吹き込まれて、その人の内で生ける言葉、力ある言葉になってきます。
17世紀のオランダの画家レンブラント(1606〜69)。彼の人生には、多くの苦難がありました。3人の子どもを立て続けに失い、36歳の時、妻も亡くなります。また、彼の描きたいものとお金持ちの注文する作品とが食い違い、その間で彼は悩みます。
50歳の時、経済的破綻。そうまでして彼の描きたかったものとは、聖書を題材としたものでした。「アブラハムの犠牲」「イサクとリベカ」「モーセと十戒の板」「目をつぶされるサムソン」「エルサレムの滅亡を嘆くエレミヤ」「愚かな金持ち」「放蕩息子の帰還」「ペテロとパウロ」「ステパノの石打ち」「ペテロの裏切り」「ガリラヤ湖の嵐の中のキリスト」「キリストの十字架」。レンブラントは、キリストを十字架につける場面に自分の姿を描いています(キリストを十字架につけたのは自分の罪だという告白です)。
実は、レンブラントは目に問題を抱えていました。しかし、そのハンディキャップが彼に画家としての成功をもたらしたのです。レンブラントは「斜視」で苦しんでいたために、物を立体的に捉えることができませんでした。しかし、そのことがかえって「三次元の素材を二次元のキャンパスに置き換えるのに有利」に働いたのです。
その結果、彼の作品は独特の風合いを持っています。人々はレンブラントを「光と暗の魔術師」と呼びます。それは、彼の目のハンディが生み出したものです。レンブラントの「斜視」も神の栄光の現れとなったのです。
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