これまで、保育施設内で虐待が起こるメカニズムをさまざまな観点で考えてきました。最後に触れなければならないことがあります。それは、3歳未満児の保育に関して、保育理論の構築が決定的になされていないということです。これは歴史的な原因をはらんでいます。
「異次元の子育て支援」を実態化できるか
厚労省の考えは、現行制度が始まる数年前から、「たとえ合計特殊出生率が2を超えたとしても、もう子どもが増えることはなく、それどころか高齢化率が急激に上昇し、日本の産業は遅からず労働者不足により空洞化していく。産業の空洞化に対抗するにはもはや外国人労働者に頼るしかない」というようなものでした。
3月1日には全国の出生数が、これまでの予想よりも10年近く早く、80万人を切ったことが報じられました。実は、日本の実情ははるか以前から「異次元」の状態だったのです。従って、これから実施する少子高齢化対策は文字通り、通常では想定できない「異次元」のものでなければならないのです。
現在の保育施設の実態は、理念や目的が子どもを製品化するような薄っぺらい考え方に支配され、「天才児」や「稼げる大人」に仕立てるというニーズに従わざるを得ない状態なのです。また、これらのニーズは政界やそれを受けた保護者から噴出し始め、結果として、「子どもとしてしかるべき発達や成長」という根幹ともいえる大切なものが置き去りにされています。
虐待は、保護者から始まりました。そして、それがついに保育施設内にもまん延しているのは、現行の子ども・子育て支援新制度がもはや限界を迎えていることを示しています。「異次元」と言うからには、「制度そのものが異次元」のものでなければならず、もはや既存の制度の拡充では食い止められないのです。
3歳児神話と保育
古来、日本では3歳になるまでは親元で育てるべきという理論が一般的でした。無論、これはある面では理にかなっていることで、幼稚園は今でも満3歳児からしか入園できません。それは、0、1、2歳児は基本的に親元で育てることが求められていたからです。ですから、戦後創設された保育制度では、3歳未満で預けられる子は長らく「かわいそうな子」とか「施設の子」などと陰口を言われていたこともあったと聞きます。
しかし、地元を遠く離れた都市部に就職した人などを中心に、「3歳までは家庭で」というのは難しい状況になってしまいます。そこで、保育施設では徐々に、2歳児預かり、1歳児預かりと、預かる園児の年齢が下がっていき、最終的には産後2カ月から受け入れるようになってきました。
3歳児神話との決別を失敗した保育界
長年の未満児保育(3歳未満の保育)の実績や保育研究者などの検証によって、3歳児神話はまさに「神話」であることが確認されてきました。親が自分の子どもを育てるのは理想ではありますが、発達過程をたどったしっかりとした保育を実践することによって、親の負担を減らすばかりか、親の育児スキルも上昇することにより、虐待などの問題を回避できるということも判明してきました。何よりも1990年代に始まった男女共同参画という考え方は、「女性は主婦となって子育てに専念する」という当時の常識を払拭するのに大きく用いられました。
3歳児神話が神話であることは確認されましたが、冒頭で述べた通り、3歳児神話はある面では理にかなっています。そこで保守層を中心に、「理想的には3歳児までは親元で」という言い回しが残り続けました。そして、それに乗らざるを得なかったのが幼稚園であったわけです。
前述の通り、唯一の幼児教育施設である幼稚園は、満3歳児からしか保育を展開できません。しかし、一方で保育所に0歳児から先取りされてしまえば、幼稚園に入ってくる子どもは激減してしまうわけです。事実、1990年代から幼稚園は相当園児数を落として経営難に陥るところも少なくない状況でしたが、対する保育所は急速に園児数を増やし、経営的にも大きく潤うところも出てきました。
そこで、幼稚園は教育の充実で対応しようとしました。見栄えが良い鼓笛隊、お遊戯、英会話、水泳やサッカーといった運動教室などをカリキュラムに取り入れることがブームとなりました。その結果、児童の日中の預かり施設という位置付けの保育所の教育は「幼稚園の劣化版」という学校教育法上の扱いを受けることとなり、両者の間に根深い対立構図を作り出すことになります。
そんな中、国は幼稚園救済と保育施設に教育的機能を持たせるため「幼保一体化」を実施します。これが、現在の認定こども園制度になるわけです。本当は、この段階で3歳児神話とは決別したはずでしたが、現実には決別したのは経営の必要からだけだったと言わざるを得ません。
未満児保育が定着し始めたころ、保育所を中心に、保育士には確固とした未満児保育の技術がありました。一方で、3歳児神話を堅持しようとした幼稚園は、結果的に幼稚園教諭の「寿退職」を推奨する(結果的に人件費も下がる)ことにつながり、未満児保育には組織的に触れることができない状態が長く続きます。
逆に保育所の保育士は退職することなく、わが子を入所させ、親子で通い、長く勤めることが当たり前になりました。結果、保育所では未満児保育の技術が蓄積されたわけです。しかし残念ながら、その体系化にはほとんど興味が示されることなく、現代を迎えています。
「保育士資格と幼稚園教諭免許のダブル取得」という「絵に描いた餅」
優秀な未満児保育の技術を持った生え抜きの保育士が定年などで保育所を去る中、未満児保育がこの数年で一気に形骸化してしまっている施設が増えてきました。一方、幼稚園はといえば、未満児保育への理解も技術の蓄積もないまま、園児の囲い込みのために未満児保育に手を出さざるを得ず、未満児保育を始めてしまうことになります。
国は「保育教諭」という「保育士資格と幼稚園教諭免許のダブル取得」で制度的には対応しようとしましたが、未満児保育に関する体系的な蓄積のない養成校で得た資格は、未満児保育の体系化がほとんどなされていない各施設の実情の中では役に立たず、国の思惑は「絵に描いた餅」と言わざるを得ない状況になってしまっています。
発達過程などは全く見向きもされず、ただひたすら効率的な保育を追求するしかないため、集団適応が3歳未満児にも強く求められるようになります。一方、守秘義務や働き方改革などの観点から「保育研究会」などの活動が低調になり、細々と行われてきた保育実践という保育士たちのささやかな技術蓄積さえ壊滅していきました。
さらに、方向性の間違えた働き方改革や新型コロナウイルスの感染予防のため、保育の「システム化」にかじを切らざるを得なくなってきました。現実的には、養護が主体のはずの未満児保育を効率化するために「教育で乗り切ろう」としてきたわけです。そのツケが、昨今取り沙汰されている園児虐待というものの真相なのです。(続く)
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