今、最も注目されている学者の一人、成田悠輔。米名門のイェール大学で助教授として教鞭を執る経済学者、データ科学者にして、半熟仮想株式会社の社長。テレビやユーチューブで彼が出演すると一気に視聴率が上がり、再生回数も増える。そんな「時代の寵児(ちょうじ)」が、最新の新書を通して私たちに訴えるのは「民主主義」。しかも「22世紀の」である。本書の帯には刺激的な言葉が並んでいる。
断言する。若者が選挙に行って「政治参加」したくらいでは何も変わらない。これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか? 選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ルールを変えること、つまりちょっとした革命である。(本書の帯裏面より)
本書『22世紀の民主主義―選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』は、「民主主義」と「資本主義」によって営まれている国家の現状を赤裸々に語り、しかもこの先どうなっていくかを大胆に予想した上で、どのような形態が「22世紀」に求められているかを語る「未来書」である。著者の成田氏は「SF(サイエンス・フィクション)ではない」としているが、読み手にとって、従来のSF小説のさらに上をいく未来像が語られているという意味において、確かに「SFではない」。
こんな未来を真面目に、そして真摯(しんし)に語っている様を想像すると、空恐ろしくなると同時に、ここまで割り切って闊達(かったつ)に語られる「未来予想図」と「未来対策法」は、今まで見たことがないと思わされた。多くの学者が「地に足を付けたところ」から半歩先の未来を予想し、その在り方に警告を発しているが、成田氏は文字通り「22世紀」、次の世紀をかなり大胆に描写し、提言をまとめている。
それは文字通り「革命」であり、ここまで振り切った「変化」を想定しなければ、本気で変革しようという機運は生まれてこないだろう。読後の第一声は「変革を考えるとは、こういうことか・・・」というものだった。誰に対して語りかけたわけではない。せいぜい5年後、10年後だけを見据えて、すり足で周りの動向を気にしながら「変革」を訴えてきていた自分に対して発した言葉である。
翻って、「現代のジュラシックパーク」と化している日本のキリスト教界はどうだろうか。「次世代のために」と大きな風呂敷を広げながら、実は高齢化によって足りなくなった奉仕者の補填として「健康で文句を言わない若者たち」を用いようという恐ろしくダウンサイジングな話をするだけだったり、「変化を恐れずに」と言いながら、その変化は60歳以上の信仰歴の長い人たちから見て許容範囲内でなければならなかったりしている。
その窮屈な枠が耐えきれなくなったTーレックス(若者たち)は、おり(教会)を飛び出し、「宗教2世」とか「やりがい搾取」という言葉を見つけてはそれを傷口に塗り込み、今までの仕打ちがどんなにひどかったかを吐露することで、今日もむなしく咆哮(ほうこう)するだけである。
本書は、政治や経済に主眼を置いた「未来」とそれへ向けての「革命」を説いたものだ。しかし、キリスト教界もこの世界のどこかに住所を持ち、生きた人間によって営まれているという当たり前のことを踏まえるなら、本書が描き出す未来と無関係ではいられない。例えば、本書は「民主主義」と「資本主義」の関係をこう説明する。
経済と言えば「資本主義」、政治と言えば「民主主義」。勝者を放置して徹底的に勝たせるのがうまい資本主義は、それゆえ格差と敗者も生み出してしまう。生まれてしまった弱者に声を与える仕組みが民主主義だ。暴れ馬・資本主義に民主主義という手綱を掛け合わせることで、世界の半分は営まれてきた。二人三脚の片足・民主主義が、しかし、重症である。(10ページ)
成田氏は、本書で分析結果として詳細なグラフと表を提示しているが、同時に「要約」の中でこうまとめている。
今世紀に入ってからの20年強の経済を見ると、民主主義的な国ほど、経済成長が低迷しつづけている。(中略)「民主主義の失われた20年」とでも呼ぶべき様相である。(11ページ)
このような民主主義の体たらくにどう対処すべきか、と語りかけているのである。
キリスト教界は、この現実と無関係ではいられない。例えば、教会員が毎月ささげる献金は、この資本主義と民主主義をかけ合わせた社会から取り出されるものである。もちろん、キリスト教的世界観で「神様が個々の必要に応じて与えてくださったもの」とする捉え方も正解である。しかし、それだけで自己完結してしまい、社会や経済に全く目を向けないのは誠実な信仰者の生き方とはいえないだろう。
つまり、私たちの信仰の証しとなるキリスト教会を取り巻く環境が、かつてとは大きく変化してきているということである。本書の内容は、確かに奇抜で大胆な提案ではある。しかし、次の世紀を見越して「ちょっとした革命」を訴えるアカデミズムの泰斗が存在する一方、その変化に気が付かないまま、十年一日のごとく、「次世代のために」とか「将来のために」という大仰な言葉で言い表しながら「微調整」を行うだけで、全く変化の兆しすら見えないのが(本人たちは変化していると感じているかもしれないが・・・)、日本のキリスト教界の現状ではないだろうか。
本書は、「次世代のために」と声高に叫ぶすべてのキリスト者にこそ読んでもらいたい。正直に告白するなら、私はここまでの変化を予想して、「22世紀の」と冠した成田氏の慧眼(けいがん)に感服してしまった。そうか、変化とはこういうものか。ブレーンストーミングとは、このようにすべきなのか。「ちょっとした」かもしれないが、「革命」とはこのようなことを指すのか。そういったことをいろいろと学ばせていただいた。
21世紀に読んだ本の中で、本書が一番劇薬で、最も刺激的であった(今のところは)。そして「ではお宅(キリスト教界)はどうしますか」と問われるなら、何も言えずにただ「悔い改め」へと導かれてしまう一冊である。
■ 成田悠輔著『22世紀の民主主義』(SBクリエイティブ / SB新書、2022年7月)
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