日本にもサグラダ・ファミリアはある。「日本のサグラダ・ファミリア」の異名を持つのは、神奈川県にある横浜駅。いつもどこかが工事中、絶対に完成することがないと思われていることから、そう呼ばれている。サグラダ・ファミリアは、まさに未完成の象徴といえる建築物だ。スペインの一大観光名所として、年間約300万人以上の観光客が訪れるのも、1882年の着工以来、現在に至るまで工事が続けられているという、唯一無二の建築物であることが人々を惹きつけているからではないだろうか。
だが、この建築物が「聖家族」(サグラダ・ファミリア)にささげる贖罪教会であるということを、知っている人はもしかしたら少ないのかもしれない。横浜駅に対して、「日本のサグラダ・ファミリア」という名前を当てていることからしても、サグラダ・ファミリアは、もはやカトリック教会の聖堂であるという認識よりも、工事が終わらない建築物として名を知られてしまっているのは確かであろう。サグラダ・ファミリアは未完成ではあるものの、地下礼拝堂では、1885年からミサが執り行われている。聖堂内部が完成した2010年には、ローマ教皇ベネディクト16世によって聖別のミサが行われ、正式な教会と認定された。着工から128年目にして、法王庁が認定する上位の教会「バシリカ」になったのだ。
今月12日から全国で順次公開されているサグラダ・ファミリアの伝記的映画『創造と神秘のサグラダ・ファミリア』の監督、ステファン・ハウプト氏は、この映画を「現代においてはほとんど時代錯誤とも思えるような宗教建築の伝記」であると表現する。世界各地には数え切れないほどの教会があり、観光名所となっている場所など山のようにあるが、それらのほとんどは、はるか昔に完成したものだ。建築物ほど、それが建てられた時代の影響を受けるものはない。それぞれの時代特有の建築様式や、年季の入り具合が、見る人に歴史を感じさせる。また、教会建築に関して言えば、各地域、各時代の信仰のあり方を目から知ることができる貴重な遺産となっている。
だが、サグラダ・ファミリアは違う。1800年代に着工したにもかかわらず、いまだに変化し続けているこの教会建築は、どの時代にも属していない。どの時代にも縛られていないからこそ、この100年のあらゆる瞬間を内包していると言ってもよいのかもしれない。それこそが、サグラダ・ファミリアを唯一無二の建築物たらしめ、人々を魅了しているゆえんであろう。しかし、皮肉なことに、2005年に「ガウディの作品群」の一つとして世界遺産登録されたサグラダ・ファミリアは、一大観光名所と化し、それまですべてを寄付に頼っていた建築費のひっ迫が改善。最新のIT技術の活用が可能となって、2026年の完工見込みが立ってしまった。「未完」という最大の特徴の期限が迫った今、そもそものサグラダ・ファミリアの存在意義をあらためて思い出さねばならない時が来たのではないだろうか(偉大な建築家ガウディの作品群であるということを抜きにしてだ)。
この映画の中で、サグラダ・ファミリアのプロジェクトに携わるデヴィッド・マッケイ氏(都市プランナー兼建築家)は、「今の価値観を反映した、今を生きる私たちのための建築物ができるはずだ。おそらく、宗教的というより社会的な性格で、いろいろな思想信条のよりどころになる建築物。そういうものを目指して各種のスタイルを融合し、あらゆる宗教の人々が出会う場にするといいと思う」と話す。サグラダ・ファミリアが着工した1882年、かのニーチェが「神は死んだ」と記した『悦ばしき知識』が刊行された。サグラダ・ファミリアが始まったのは、人々の心の中に神への信仰があり、人々の生活の中心に教会があった時代に一つの区切りが訪れた年であったと言えるのかもしれない。ある意味で、人々にとって神の存在がリアルでなくなっていった時代に工事が進められ、そしていよいよ完成しようとしているサグラダ・ファミリア。
サグラダ・ファミリアがその「未完」のベールを脱ぐとき、どのような隠された本質が見えてくるのだろうか。完成したあかつきには、欧州で一番高い宗教建築になるという。172・5メートルの高さになる中心の塔の名前は、「イエス・キリストの塔」。その完成を見て、人々は何を思わせられるのか。今、この時代に巨大な教会が完成する意味は何であるのか。2026年を迎える前に、まず私たちは、そもそも教会は何のために、そして誰のためにあるのかを、この映画から今一度考えさせられたい。
映画『創造と神秘のサグラダ・ファミリア』は、12日からYEBISU GARDEN CHINEMA他、全国で順次公開されている。