2月18日、梅窓院祖師堂(東京都港区)にて開催された「宗教者九条の和」特別講演会で、日本福音ルーテル稔台教会牧師の内藤新吾氏による講演会が行われた。
東日本大震災による原子力発電問題を受け、国内で脱原発の国民的関心が高まっている中、宗派を超えて原発問題に関心をもつ人々約200名が講演会に参加した。
内藤氏は、19年前「被曝労働」を繰り返した日雇い労働者との出会いをきっかけに、原子力問題へ取り組むようになったという。現在「原子力行政を問い直す宗教者の会」事務局世話人も務めている。
~原発問題は、環境と平和、人権を脅かす問題~
内藤氏は講演を通して、福島原発のみならず、現在運転されている国内原子力発電所の危険性についても警告し、脱原発、自然エネルギー中心の社会へ移行する必要性と、それまでの過渡期をガス・コンバインド発電も活用し乗り越えることを訴えた。同氏は原発問題について、「環境と平和、そして人権を脅かす問題である」とし、「たとえ事故が無くても、被曝労働を要する原発が運転されていること自体が大変な問題である」と訴えた。
同氏は、名古屋の教会に赴任した後、浜岡原発に近い掛川と菊川の教会に赴任し、中部電力・政府の住民無視に対して、原発閉鎖を求め続けてきた。同氏によると、「浜岡原発は、二大プレートが重なる地点の真上にあるという、世界に二つとない危険極まりない立地であるのに、中部電力・政府は、いくら賛否両派の学者による公開討論会を要求しても、頑として応じず、ついに裁判で訴えても、静岡地裁は中部電力の主張丸呑みの判決を下すという醜態を示し、さらには駿河湾地震以後の5号機運転再開に際しても、ただ一回、人が集まりにくい会場で推進派のみの説明会を開いただけであった」という。福島第一原発事故が生じ、ようやく政府が浜岡原発停止に踏み切ったが、政府も中電もまだ浜岡原発延命をあきらめず、建屋内には冷却中の使用済み核燃料棒があるため、原発震災の脅威もまだ去っていない状態であるという。
浜岡原発の東海地震に対するぜい弱性について、「地震がなくてもときどき破れる配管が、持ちこたえられるわけがないというのが良識。多くの専門家が危険を指摘する最も弱い部分は再循環ポンプである。二つの総重量が百トンもあるが、配管の温度差による膨張率調節のために固定できず宙吊りになっており、巨大地震にはとても耐えられないだろう」と懸念を露わにした。
~原発と核兵器の結びつき、改憲の動向に懸念~
同氏はさらに、核の軍事利用と「平和利用」(電力利用)の緊密な関係、使用済み核燃料再処理の危険、核廃棄物処分の問題、原発輸出促進と改憲の危機についても講演の中で取り上げ、原発なしの社会、弱い立場の人の尊厳と自然の命の尊さが輝く政治・社会へ移行する必要性を訴えた。原子力発電事故の際のみならず、正常時においても、その運営方法において弱い立場の人々の人権が踏みにじられていること、他の原発においても同様の事故が生じた際に必要な対策がなされていない不安があるにもかかわらず、原発の運転を継続し、さらには原発の輸出も進めようとする国家政策の問題について、「原発と核兵器の結びつき」を指摘した。
内藤氏はさらに、国が震災後もあくまで原発運転を維持する理由として、「核武装の疑惑が避けられない」と指摘した。日本は憲法9条が存在していることによって、核武装と核兵器の輸出ができずにいるが、もし改憲されれば、これらのことが可能となる。内藤氏は「国はいつでも核兵器が作れるように、潜在能力を持っておく考えがあるのではないか」と指摘した。