イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。・・・真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。・・・女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」(ヨハネの福音書4章21-26節参照)
新緑がまぶしい快晴のこの月、心も聖霊に満ち溢れて快晴に。感謝と喜びに溢れさせましょう。
先日、アンデレ宣教神学院の20周年を祝う行事が行われました。私にとってこの20年はアッという間でした。
恒雄牧師は、当時留学から帰国したばかりの私に、かねてから念願としていた牧師養成の神学校の設立を実現するよう依頼したのでした。そして1年後、1ヶ月に1回の集中スクーリング制を採用し、学生が出身教会の働きを続行しながら、その資質を高めていくという型の(従来の寄宿舎での生活をしながら数年を学びと訓練に専念するという型とは異なる)新しいタイプの神学校を編み出し、1987年5月に発足させることができたのでした。
集中スクーリング中は、教会運営と同時進行ですから目の回るような超多忙を味わいますが、26、7歳からこうしたイエスの福音を伝える人々を送り出すという有意義な仕事に携わることができたのは実に感謝なことでした。
これまで60人近くの神の働き人を産み出し、イエス・キリストと共に働くという充実した時を持ち得たことは味わい深いものでした。イエス・キリストご自身が鍵となって大きな意味を引き出し、大きな祝福を共に働く者に満たしてくださることを知りました。私たちの自分なりの一生懸命な行動やがんばりもあります。しかし、私たちの命に輝きを与え本当に幸せにする本物の鍵はイエスだということを忘れてはなりません。
今日の聖書箇所ではイエスがサマリヤの女性との会話で彼女を救い、真の礼拝について語られています。
サマリヤ人とユダヤ人は同じイスラエル民族として同胞であったにもかかわらず、片方は律法をいい加減に扱い、一方は律法を守っているという自負で他を蔑視し、仲たがいの歴史が続き、敵対関係にありました。
しかし、イエスはサマリヤにあるスカルの井戸端でひとりの女性と出会い、明らかにユダヤ人とわかるイエスがサマリヤ人の女性に声をかけたのです。
1.真の信仰は人生の諸事情を超える
私が、「教会に来ませんか」と言いますと、仕事で忙しい、子育てで、塾が・・・などと言われます。現代人は子供からお年寄りまで皆忙しく、暇でたまらない人などいないでしょう。個人の事情を言い始めればきりがありません。イエスが声をかけた女性は言います。「ユダヤ人のあなたがどうしてサマリヤ人に声をかけるのですか。礼拝のスタイルもお互いに違うのです」。しかしイエスは、そのような人間的な事情を超えて、霊とまことをもって神を礼拝する、真の礼拝の行われる時が「今来ている」と断言されました。本当の信仰は人生の諸事情を超えるものです。こうなると何があってもびくともしないのです。
2.救いの鍵はイエス・キリストご自身
ここに女性の「キリストなる救い主が来られる時には一切のことが明らかになり、私たちに分かるようになるでしょう」との言葉に「あなたと話しているこの私がキリストです」と答えられました。
女性は、「渇くことのない水を与える」と言われたイエスと話した末に、彼をキリストと信じ、その地の人々に、「この方がキリストです」と証言し、その町の多くの者がイエスを信じるようになりました。
イエスこそが救いの鍵であり、諸々の事情は真の信仰には不要のことです。国籍や文化の違いは関係ありません。日本人にはその歴史的文化的背景をもつ宗教が相応しいと主張する人もいますが、真の信仰は、人を創造された創造主なる神を信じること。それが魂の本質に相応しいというべきでしょう。
真の信仰は人生の諸事情、個人の諸事情(各自の社会人としての時間や体調、必要性の有無等)とは無関係です。私たちは信仰の成長を目指しましょう。何があってもイエス・キリストと霊において深く結びつき、霊的な高みへと導かれ、人生の諸事情や個人の事情を超えたところに自己の信仰を高めたいものです。
最近、いわゆる「ゴスペル」ばやりで、クリスチャンのひとりもいないゴスペルグループが数多くあります。彼らは愛と平和を歌うのですが、人間的愛と平和では限界があります。私たちクリスチャンは、人間の命そのものを取り扱うことのできるイエスに結びつき、単なる人間の思いを超える、突き抜けた信仰を身につけましょう。そのとき、諸々の事情を超越するイエスの恵みを得て、喜びと平安を自分のものとできるのです。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など、多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。