戦後多くの日本人が有してきたキリスト教に対する誤った固定概念として、白色人種が有色人種の居住地を植民地支配するためにアリストテレスによる「神→天使→人間→低人間→動物→植物→物体」という枠組みをカトリック教会が神学の中に取り入れてしまった誤ったキリスト教の認識がキリスト教であると認識されてしまっていることを指摘した。そのため、白色人種が植民地支配を進めていた徳川幕府の時代において、徳川幕府はこのような誤った神学に基づいたキリスト教がキリスト教であると認識するようになってしまい、厳重に警戒していたことを指摘した。
日本が太平洋戦争で敗戦した後の6年間にわたって米軍が日本を統治し、マッカーサー指令部は日本の歴史、日本地理および修身(道徳)の3教科の授業を禁止し、日本人の愛国心を失わせようとしたのと同時期にキリスト教の伝道も盛んに行われるようになったが、当時のマッカーサー指令部によるキリスト教はまだ「有色人種劣等の教理」の入ったキリスト教であり、日本をキリスト教国にすることで、日本を統治しようとしていたことを指摘した。また日本とアジアの歴史教育が中断され、「日本が無謀な戦争をした」とだけ教えられるのと同時に、共産主義者が日本に解放され、アジア各国で社会主義国が増えていき、日本が良い国になるには共産化するべきだとの考えが当時の多くの国民が戦争に疲れ切った状況下で高まるようになっていったことを指摘した。後藤氏は、「21世紀の現在に至っては共産主義はすっかり影もないが、未だに残っているものがあります。それは日本の歴史に対する無知、あるいは真空状態です」と述べた。
またマッカーサー指令部の日本に対する見方が、朝鮮戦争を機に変化した事実が日本人の盲点となってしまっていることも指摘した。マッカーサーが日本の統治の責任を負っている時期と同時期に朝鮮戦争が勃発し、朝鮮半島が共産化する危機が生じた。このためマッカーサーは日本も共産化することを恐れ、日本の太平洋戦争に対する考えについて「無謀な戦争を始めた」との見解から「自国と文化を守るために自衛の戦争として太平洋戦争を始めた」とアメリカ上院の証人喚問で証言するに至っている。後藤氏は「日本人のほとんどはこのマッカーサーの態度の変化を知らないでままでいるのではないか」と指摘した。
日本人が「キリスト教」と聞く時に、未だに白人植民地支配やマッカーサーによる統治と関連付けた認識を示す人が存在することについて、後藤氏は、「キリスト教と戦争責任については切り離して考えるべきである」と指摘し、「良心的な人ほどアジアに対して『日本が』大きな罪を犯したと信じています。クリスチャンはそのことを特に意識すべきであり、また社会一般もそれを教えねばならないと信じています。しかし、それが不十分な歴史理解から出ているとしたら問題が残ります」と指摘した。
そして「日本的なものが戦争を起こした元凶である」、「日本的なものを捨てるべきである」、「日本は政教分離」とか「天皇制の廃止」が必要であるというような、「これまで、キリスト教界がすべからく日本的な体質を告発し、弾劾せねばならないという考えが強くありましたが、これははたしてキリスト者の姿勢として正しいと言えるのでしょうか」と疑問を投げかけた。というのも、この様な考えに基づけば、キリスト教の宣教というのは、日本の体質が変わって近代化することで初めて宣教も前進するということになってしまうという。宣教のために天皇制を破棄し、日本社会を西欧的に改造していかなければならないというのでは、いつまでたっても宣教は前進していかないのではないかと指摘した。
後藤氏によると、日本社会の意識や価値観を改造するのは容易なことではなく、それを無理やり改造しようとすることに日本宣教の困難性が生じているという。実際に旧約聖書を読めば、旧約聖書の世界の様態が西欧の社会というよりはずっと日本の社会に近いことが伺えるとし、西欧の社会が2000年かかって「ご当地限定」のキリスト教を形成したが、日本でも聖書的見解に即して「日本版キリスト教」を形成していくことが、西欧のキリスト教を無理やり日本社会に当てはめようとするよりも宣教に寄与するのではないかと指摘した。
後藤氏は西欧社会と日本社会の大きな違いとして「個人主義」と「共同体性」を例に挙げた。西欧社会では組織の中の一人が過ちを犯した場合、その人個人の責任とされるが、日本社会ではその組織の責任者の責任とされる。後藤氏は日本の「共同体性」に合った形でキリスト教を宣教していくことが必要であり、キリスト教を受け入れるにあたって「日本人が無理をして日本人の背骨を外して捨てて、外国の思想を自分の背骨に取り入れることはありません。それは福音の要求ではありません」と指摘した。
日本宣教において、沖縄で開催された第4回日本伝道会議において「天皇制に根差した日本という国の在り方を根本から問い直すことが(中略)課題である」という決議がされたことに対しても疑義を露わにした。後藤氏は「伝道会議での宣言でこのように決議するということは、日本の全教派に対して、伝道のためには天皇制の廃止のため闘え、と言っていることになります。それができると日本宣教が前進するということなのでしょうか」と疑問を投げかけ、天皇制の是非については伝道会議ではなく、別の会議で議論されるべきことではないかと指摘した。
また後藤氏は、欧米個人主義社会においては、教会は「ばらばらになっている個々人が所属する場所」として良く機能しやすいが、日本的共同体社会においては、教会が存在しなくてもそもそも社会や組織の間での個々人の結束が強く、教会が欧米社会と同じように「個々人が所属するための場所」としての意味合いだけでは機能しにくい社会であることを、日本宣教において認識する必要があると指摘した。
日本民族総福音化運動協議会は、「日本のクリスチャンが教派、教団の壁を乗り越え、教理、神学の枠を乗り越え、日本の救いのために立ち上がる」ことを目指して2003年6月に立ち上げられた。日本の国と民族をキリスト教信仰によって再建することを強く意識しており、日本の歴史・文化・伝統に文化適応した福音の提示を積極的になしていくことを目的としている。超教派の運動であり、「イエスは主、我らの救い主」と告白するキリスト者であれば、誰でも参加でき、神学や信条は問わないという。これまでの日本のリバイバルを求める団体と競合するためのものではなく、むしろ日本の救いを求めてきた諸団体や個人との良き協力関係の中で運動を推し進めて行くことが目指されている。
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後藤牧人氏 略歴
1933年生まれ、東京都出身。日本キリスト神学校、青山学院大学・神学修士(旧約学)。米国フィラデルフィア・ウエストミンスター神学校ThM(新約学)。聖光学院高等学校前校長(福島県・キリスト教高校)。著書『日本宣教論』